インタビュー:トライアスロン
横尾 亘 様

トライアスロンは、バランス良く身体が鍛えられるスポーツです。
病気とうまく付き合いながらトレーニングし、仲間と一緒に何歳になっても楽しみたい。

主な戦績
2009年NISSAN CUP 神奈川トライアスロン (初トライアスロン)
2010年佐渡国際トライアスロン Bタイプ 年代別1位
2011年佐渡国際トライアスロン Aタイプ 年代別4位(初ロングディスタンス)
2014年佐渡国際トライアスロン Aタイプ 年代別2位
2016年五島長崎国際トライアスロン Aタイプ 年代別4位
2018年五島長崎国際トライアスロン Aタイプ 年代別3位
2019年五島長崎国際トライアスロン Aタイプ 年代別1位

トライアスロンを始めたきっかけを教えていただけますか。

もともと、子どもの頃から学生時代まで水泳をやっていました。働き始めてからは特に運動をしていたわけではなかったのですが、家が自転車屋をやっていて、27、28歳の頃から自転車に乗るようになりました。大会に参加したりして、自転車の楽しさを覚えるようになり、自分なりに走れるようにもなってきました。トライアスロンにももともと興味がありました。泳げるし、自転車もそれなりに走れましたから、いつかやってみたいと思っていました。しかし、いつかやってみたいなと思うものの、走るのが苦手で、苦手というより、42.195キロ走るなんて考えられませんでしたから、そのうちと先延ばしにしていました。

トライアスロンをやる決意はどのようなことがきっかけだったのですか。

私は2005年に潰瘍性大腸炎という病気を発症しました。最初はそれほど重症ではなかったので、自転車の練習はしていました。練習しないと遅くなってしまうと思って、練習は続けていたのです。伸びている時期だったので、練習をやめて落ちてしまうのが怖かったんですね。朝起きて、トイレに行って、血便を出して、練習する。帰ってくるとやはりお腹の調子が悪くて、また血便を出す。今考えれば本当にバカなことをしていました。発症してから半年くらいそんなことを続けていたので、けっきょくどんどん悪くなってしまって、翌年には入院しました。入院中、病院の天井を見上げながら、病気になると何もできないな、やりたいこともできないのだなと思いました。そのとき、退院してこの病気がよくなったらトライアスロンをやろう、と決心したのでした。ただし、そう決心したものの、2006年に退院した後も体調が良くなるわけではなく、2007年も身体を動かせるような状態ではありませんでした。
2007年後半に潰瘍性大腸炎に効くという漢方を飲み始めてからどんどん良くなって、2008年からトレーニングをするようになりました。水泳はそれなりに泳いでいましたし、バイクも距離にしたら150キロ、200キロくらい走れていて、何とかいけるところまできたので、よし、トライアスロンをやろう、ランニングもやろう!と走り始めました。ところが、10キロくらいは走れるだろうと思っていたのが、2キロくらいで走れなくなってしまったのです。絶望しましたね。
トライアスロンをやるにはランは避けて通れませんから、最初はウォーキングから始めました。だんだんとウォーキングの距離を、5キロ、10キロ、15キロ、20キロと延ばしていきました。そうして脚の筋肉を付けて走ると、スピードはそれほどではありませんが、5キロ、10キロくらい走れるようになっていました。これならなんとかなると、2009年に初めて大会に出場しました。オリンピック・ディスタンスという短いもので、結果も大したタイムではありませんでしたが、完走できたことが嬉しかったですね。そこからはまりました。長い距離も出てみたくなって、翌年の2010年、佐渡国際トライアスロン大会のBタイプに出場しました。ラッキーなことに、そこで年代別で1位になれたのです。
僕の場合、病気はしましたが、水泳をやっていましたし、家も自転車屋ということもあって、環境としては恵まれていたと思います。トライアスロンに興味はあっても踏み込めないという人の話を聞くと、やはりスイムが一番のハードルになるようです。その点、僕はそのハードルがまったくなかったので入りやすかったですね。2010年に佐渡のBタイプを完走して、その後も順調でした。次は長いものでは、2011年に佐渡のAタイプに出て、完走することができました。

それ以来、病気は大丈夫だったのでしょうか。

その後、2011年、2012年、2013年、2014年と、毎年佐渡のAタイプに出ていたのですが、2014年の年末頃、潰瘍性大腸炎が再燃しました。潰瘍性大腸炎は治らない病気だと言われています。治療法が確立されておらず、難病にも指定されていて、これといった特効薬もないのです。病気を治すのではなく、発症しないよう落ち着いた状態をキープするしかありません。しかし、5年くらい症状が出ていなかったので、治らないとは言われていたのですが、僕はもう治ったものだと思ってしまっていました。油断していたのもあったのか、何かのきっかけで再燃してしまい、それからは繰り返しです。症状が出て、落ち着いて、トレーニングを始めて、レースに出て、また調子が悪くなってしまう。それが3年くらい続きました。去年も五島長崎国際トライアスロン大会(バラモンキング)に出場した後、8月に症状が出てしまい、佐渡は棄権しました。症状が治まった後の冬からまたトレーニングを始めて、今回何とか五島長崎国際トライアスロンで年代別1位を取ることができました。

病気が発症している間、トレーニング方法などは変えるのですか。

年をとってきたというのもありますが、練習後のケアを特にするようにしています。それまで、練習した後はたくさん食べたり、飲んだりしていました。若い頃はよかったのですが、それだと体調も悪くなってしまいます。最近は、食べることは食べますが食べすぎない、飲むほうもなるべく飲まないようにしています。食べ過ぎてしまうと内臓が休まりません。そうなると寝ていても内臓が働いてしまうので、熟睡することができません。けっきょく、その蓄積でどんどん疲れがたまっていってしまいます。それで潰瘍性大腸炎が再燃してしまう。そんなサイクルになってしまいます。

普段の食事で気をつけていることはありますか。

すごく気をつけているというわけではありませんが、刺激物はあまり取らないようにしています。もともと辛いものが大好きだったのですが、腸には良くないので、そういったものは控えるようになりました。カロリーにも気をつけています。揚げ物が好きですし、基本的に食べたいものは食べるのですが、トータルとしてなるべく量を抑えるようにしています。特に大会直前は、あまり胃腸に残らないよう、繊維質などは避けるようにしています。潰瘍性大腸炎という病気を持っているので、胃腸が人より弱いのです。前回のバラモンでもレース中にお腹を壊してしまって、トイレに2回駆け込むことになってしまいました。そういうことがあるので、直前には気を遣っています。

粉飴はどのようにお知りになりましたか。

粉飴を知ったのは最近です。最初、佐渡の大会でもらったのですが、どうしたらいいのかわからなくてそのまま放置していました(笑)。でも、仲間たちは「粉飴いいよ」と言っていましたし、ボトルに入れたり、ドリンクにしたりといった使い方を聞いて、ちょっとやってみようかなと。それで使い始めました。バラモンでは、ボトルに粉飴を入れて、一つはオレンジジュース、一つはリンゴジュースで同じ濃度で割って、交互に飲むようにしました。やはり同じ味だと飽きてしまうんですよね。
粉飴を知る前はアメリカのジェルを使っていましたが、味があまり美味しくありません。他にないので仕方なく飲んでいました。カロリーは取れるのだけど、味が好みではありませんでした。その後は水溶性マグネシウムを飲み始めました。味はすごくよかったのですが、マグネシウムが入っているため、腸が強い人はいいのですが、僕には合いませんでした。大量に飲むとやはりお腹を下してしまいます。それで困っていたときに、粉飴に出会いました。
今回のバラモンでは、バイクではボトルに入れた粉飴を2本用意して、ランではレース会場でいただいたジェルを飲みました。あとは、どうしても飲むだけでは飽きてしいます。噛みたいのです。噛むと眠気が飛ぶ、少し覚醒するということもあります。それで、羊羹も2〜3本持っていき、バイク中で1500キロカロリーくらい取りました。粉飴を飲むようになって、今回はまったくお腹を壊しませんでした。これからはこのパターンでいこうと思っています。

練習はどのようにしていますか。「関東鉄人オジサンクラブ」に所属しているとお聞きしました。

普段の練習は、土日が仕事であまり時間が取れないので、平日の早朝に一人でやることがほとんどです。朝にはバイクとランです。バイクは50〜60キロくらい、2時間ちょっと走ります。ランはそのときによりますが、疲れているときは軽く10〜15キロくらいで、今日は頑張ろうというときには20キロくらい走ります。時間にして1時間〜1時間半くらいです。また、月に1回、30キロ走をどこかでやると決めています。30キロは走っておかないと、フルマラソンで最後まで走りきれず、途中でへばってしまいます。今までの経験から、それはやるようにしています。スイムは夜に週2回くらい、トライアスロンスイミングというコースがあるので、そこで練習しています。
関東鉄人オジサンクラブにはすごいメンバーが集まっています。関東鉄人オジサンクラブと名乗り始めたのは、2年くらい前です。もともと長澤さんが中心になって、レース後に仲間同士で集まっていたのが始まりでした。長澤さんは先生もしていて人徳があったので、その輪がだんだん大きくなって、今はメンバーが何人いるかわからないくらいです。ユニフォームを作ったり、Tシャツを作ったりするまでになりました。僕は土日が仕事で練習にはなかなか行けず、レースで年に1〜2回会うくらいなのですが、レースでは仲間を意識しますし、仲間がいるとやっぱり全然違います。

ご病気がありながらトライアスロンを続けている、その魅力は何なのでしょうか。

レースに出るという目標がないと、ハリのない生活になってしまいます。やはり、体調が悪いときにレースのことを考えると憂鬱になります。毎年病気とレースの繰り返しなので、レースまでに間に合うのかなという不安はあります。しかし、いざレースをやめてしまうとなると、堕落した生活をしてしまいそうです。今までの病気になってからのことを振り返ると、練習をしていたときのほうが、体調が良いような気がします。むしろ練習をやめてしまうと、だんだん体調が悪くなってきてしまう気がします。もちろん、ハードな練習はできません。ハードな練習をすると内蔵にきてしまうので、追い込んだ練習はできないのですが、60〜70%くらいの練習を淡々とする分には、かえってそのほうが体調いいのです。病気とうまく付き合いながらやっていくには、今のところこの練習方法がいいのかなと思っています。でも、仲間に追いつくにはそれではだめなのですよね(笑)。身体と相談しながら、もう少し追い込める練習をしなければいけないなと、これからはそういうこともやっていけたらと思っています。
僕はもともと水泳をやっていたとはいえ、学生時代、競泳の世界ではまったく話にならないレベルでした。自転車ももちろん大したレベルではないし、マラソンもベストは3時間12分で、サブスリーを達成していません。3つとも大したことはないのです。ところが、トライアスロンになると、その3つをうまくまとめれば上位に入ることができるというのがまた魅力です。
仲間もいます。皆さん僕よりも年上で、僕よりも速い人たちがたくさんいるので、やはり目標になりますよね。最初にトライアスロンをやり始めたとき、目標はアイアンマンディスタンスで、ロングを完走することでした。それを2011年の佐渡で達成したので、そのときにはもういいやと思ったんです。ところが、そのときに長澤さんとの出会いがありました。それから長澤さんを通していろいろな人と会うようになり、刺激をもらっています。皆速いですし、まだまだ上には上がいるなと思って、やめられなくなってしまいました。高い目標があるのでやりがいがあります。
今回のレースでは、篠塚さん、松岡さんと同じ宿でした。皆さん僕より速いですから、それを目の当たりにしてしまうとますますやめられないなと思います。そういった楽しい仲間とレースで会えるのが楽しみですし、レース後もまた楽しみです。そのために練習しているという面もありますね。すごい人たちと一緒にレースに出たい。終わった後にみんなでわいわいやりたい。それも楽しみの一つです。

今後のご予定はございますか。

9月に佐渡のロングに出場する予定です。佐渡では松岡さん、長澤さんも一緒です。コナに挑戦するにはもう少し実力をつけてからだと思っています。せっかく出るのであれば、コナに出るのがゴールではなく、コナでそれなりのレースがしたいという気持ちがあります。これから徐々に練習を積んでいきたいですね。
トライアスロンは生涯スポーツといわれています。どうしても過酷なスポーツというイメージがありますが、バランスという点ではすごく身体に優しいスポーツだと思います。例えば、ランニングばかりやると膝を痛めたり、関節を痛めたりしますが、トライアスロンの練習量ではそこまで踏み込みません。そういう点で一つの場所に負荷をかけないのです。3種目をバランス良く練習できれば、年を取ってもできるスポーツです。全身運動で全身の筋肉を使いますから、バランスの良い身体にもなります。良い意味で、3種目を突き詰めないでやっていきたいと思っています。病気とうまく付き合いながら、再燃させないようにしながらトレーニングしたいですね。

横尾さんのトライアスロンへの取り組み意識、姿勢は模範だと感じました。これからも、生涯にわたってトライアスロンを楽しんでください。本日はありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
篠塚 恭男 様

トライアスロンは、誰でも楽しめる競技です。
これからも仲間と一緒に、コナを目指して楽しんで続けていきます。

主な出場レース
2019/10/26 IRONMAN MLEYSIA(予定)
2019 五島長崎国際トライアスロン大会(バラモンキング)
第2回日本ウルトラロングディスタンストライアスロン選手権
総合5位入賞
2018 IRONMAN ASIA-PACIFIC CHAMPIONSHIP CAIRNS ケアンズ(年代別15位)
2017 IRONMAN WESTERN AUSTRALIA バッセルトン(年代別14位)
IRONMAN ASIA-PACIFIC CHAMPIONSHIP CAIRNS ケアンズ(年代別15位)
2016 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP ハワイ(年代別104位)
IRONMAN ASIA-PACIFIC CHAMPIONSHIP CAIRNS ケアンズ(年代別14位)
2015 IRONMAN TAIWAN(年代別9位)
IRONMAN JAPAN 洞爺湖北海道(年代別14位)
2014 IRONMAN JAPAN 洞爺湖北海道(年代別10位)
2013 IRONMAN JAPAN 洞爺湖北海道(年代別19位)
2012 IRONMAN 70.3 CENTRAIR JAPAN(年代別58位)
2011 IRONMAN 70.3 TAIWAN(年代別8位)
IRONMAN KOREA
2010 TRIATHRON JEJU
2008 IRONMAN MLEYSIA
2007 IRONMAN JAPAN 五島長崎
2006 IRONMAN JAPAN 五島長崎
IRONMAN KOREA
2005 IRONMAN JAPAN 五島長崎(年代別33位)
2003 佐渡国際トライアスロンA(初ロング)
2002 トライアスロン珠洲A
2001 波崎トライアスロン(ミドル)

トライアスロンを始めたきっかけをお聞かせください。

子どもが小学校に上がって、保育園への送り迎えがなくなったので、ちょっとやってみようかなと思ったのがきっかけです。35歳のときに始めたので、今年で18年です。それまでは運動嫌いで、運動はしていませんでした。バイクは好きでツーリングをしたりしていましたが、走るのは大嫌いでしたし、泳ぐことできませんでした。25メートルプールの端まで泳ぎ切ることができなかったくらいです。必ず半分くらいで足を着けないと、溺れてしまう感じでした(笑)。
ただ、トライアスロンという競技は知っていて、すごい競技があるのだなという憧れはありました。その頃『ターザン』という雑誌でトライアスロンの特集を読んで、すごいと思っていました。それで、子どもの手が少し離れたこともあり、少し無茶なことをしてみようかなと、短絡的な動機で始めました。『ターザン』でスイム特集が組まれていて、「誰でも泳げるようになる」という記事を読んで、「そうか」とさっそく公営のプールに泳ぎに行きました。
そんなスタートでしたが、最初から大会を目指していました。トライアスロンは大会に出ないとトライアスリートとは名乗れない気がしたからです。3種目順番に1人でやってもしょうがないかなと。大きな大会に出るとは思ってはいませんでしたが、何かしらの大会には出ようと思って始めました。

ゼロからのスタートだったわけですね。

始めたときにはどんな大会があるのか、いつどこでどのようにやっているのかもまったく知りませんでした。『トライアスロンジャパン』という雑誌だけが情報源で、それで隣町のプールでスイムクリニックをやるというのを知って参加したのが、トライアスロンに触れた第一歩です。25メートルプールに30人くらい、来ている人のほとんどがトライアスリートでいい体格をしていました。すごいなと思いましたね。その頃の自分は80キロ近くあって、腹も出ていたので、「こんな体型で恥ずかしいな」と言うと、周りの人は「みんな、身体を絞ってから始めたのではなくて、やっているうちになったんだよ」と言ってくれて、ほっとした記憶があります。25メートルも泳げなかったので、いろいろとメニューをやらされる中、2〜3回立ちながら、なんとか泳ぎました。
そのとき参加したプールの近くにバイクショップがあり、そこでやっているバイクの練習会にも参加しました。実はスイムのクリニックも、プールの主催ではなく、そのバイクショップが主催でやっていたものでした。その練習会にトライアスリートの方が何人かいました。それもコナに何度も出場しているような人たちです。バリバリのトライアスリートで口もきけませんでしたが、憧れましたし、目標になりました。コナの話を聞いて、やっていれば自分もいつか行けるのかな、行きたいなと、大それたことを思っていましたね(笑)。急にはできないから地道にいこうと思って続けてきました。

泳げなかったところから始めて、どのように経験を積んでいかれたのでしょうか。

最初は泳ぐのも怖かったですし、ましてや海で泳ぐなんてあり得ませんでした。それで、レースで泳ぐためには海で泳ぐ特訓をしなければいけないと思って、ライフセーバーの合宿に参加しました。土日を挟んで2日間、3日間の合宿です。資格を取る・取らないは別にして、きちんと見てくれている人がいる中で海を泳げると思って申し込みました。ところが、それが想像以上にきつくて大変でした(笑)。合宿なので逃げることもできません。これは大変なところに来てしまったと思いました。しかし、この合宿を何とかやり切ったことで、少しは自信がつきました。この経験が今も役に立っていると思います。鹿島だったのですが、外海で波も荒く、最初は波を越えて向こう側へ行くこともできません。それも、救助用の大きなボートを持って、抱えて、走ってなんです。持っているだけで波に跳ね返されてしまいます。そういった練習を経験できたことがよかったのかもしれません。
それから、表彰台は遠いものの、レースに出ればトントンとタイムが縮まりました。トライアスロンを始めてから1年後の4月に小さなスプリントの大会に初めて出場し、5月には潮来トライアスロン全国大会、9月には波崎トライアスロン大会のミドルに出ました。その1年後の9月、ついに佐渡国際トライアスロン大会でロングに挑戦して、完走することができました。そのうち、最初のうちはただレースに出られればよかったのが、少しでも上位に入るためには、ただ出ているだけではだめで、回数だけではだめだと思うようになりました。

トライアスロンの戦略として補給の重要性が挙げられると思います。栄養についてはどのようにお考えですか

最初のうちは、「食えばいい」と思っていました。胃腸もそんなに弱くないので、食べることは問題ありませんでした。しかし、食べて動けても何か違うと思うことがありました。自分の場合、スイムが終わってバイクに入ったときにおにぎりでお腹をいっぱいにして、あとはランまでジェルやエナジーバーでつないでいました。ところがおにぎりを食べた後、バイク中に必ず眠くなるのです。眠くなるのは集中力が切れているからだと思っていたのですが、他の人の話を聞いて、実はそうではないことがわかりました。それで、2〜3年前からおにぎりはやめて粉飴を使っています。とりすぎにならないよう、一気にではなく少しずつ粉飴を取るようにしています。どれだけの量をとれるのかがわからず試行錯誤した結果、けっきょくとりすぎはだめだということがわかったのです。とりすぎないギリギリの線でいくと眠くもならないし、持久力もうまく発揮できるのだと実感しています。
今年、粉飴を使ってはっきりと結果が出ました。五島長崎国際トライアスロン大会(バラモンキング)で、エイジ1位、総合5位という記録を達成することができたのです。こうして結果が出始めたのはこの2〜3年です。それまでは表彰台に登ったこともありませんでした。地元の近い大会のオリンピックディスタンスのような短距離で去年エイジ優勝したこともあったのですが、ロングで表彰台に登れたのは本当に今回が初めてです。それも総合だったので、自分でも驚いています。
それまでも練習では粉飴だけで走ったりしていましたが、練習だとコンビニにも寄るので、粉飴の効果なのかコンビニの効果なのかわかりません。そこまで追及もしていなかったのですが、今回は、練習でも粉飴だけで180キロ乗ったりしました。気が向いたときに適当に飲んでいるだけだとやはり波があります。練習で走ったときにそれがわかりました。そこで15分ごとにタイムを計って、それに従って毎回とるようにしました。
カロリー計算はせず、量で考えています。目安としては、バイクで1ボトルです。1時間に約30グラムとして、バイクボトルに5〜6時間分くらいを入れます。180グラムくらいを水で溶かして、あとは普段飲んでいるサプリを入れます。今までは、そうやって作っておいても、バイクで走っていると夢中になってしまい、半分くらいしか飲めないこともありました。途中で他のエイドのジェルも飲むので、飲みきっていなくてもカロリー的には同じだろうと思っていたのです。しかし、ランで落ちてしまうのはそういった原因もあるのではないかと思い、今回は全部飲みきりました。すると、ランでも落ちずに走ることができたのです。

トライアスロンのどのようなところが魅力ですか。

自分はもともと自転車が好きなのですが、自転車レースは、ドラフティングというか、最後のゴールラインを一番に超えるのが勝負で、途中はどうでもいいという側面があります。そこがあまり馴染めませんでした。最初の頃、よく知らずに仲間と一緒に自転車レースに申し込んだことがあります。周回コースの99キロのレースだったので、制限時間内に99キロ走り切るつもりで出ました。しかし、自転車レースの場合、ラップされるとそこで終了になってしまいます。そのレースでは1周目でラップされてしまったので、99キロ走るつもりだったのが5〜6キロで終わってしまい、とても寂しい思いをしました。
実際に自分がゼロから始めてみて思うのですが、トライアスロンは速く走ろうと思うとそれなりにやらないといけませんが、レースを楽しんで走るくらいまでなら誰でもできる競技です。ランニングも、速くなくても誰でも走れます。自分も今でもランニングは好きではありません(笑)。トライアスロンには3種類があるので、すべてが揃って速くなくても、それぞれに強い、弱いがあります。3種類の中で競争して、結果1番になれるところが面白いですね。ゴールの充実感も大きいですし、特にロングでゴールしたときは感慨深いです。
レースでタイムが縮まってきたり、仲間と一緒に大会に出るのも楽しいです。今年のバラモンの大会では、同じチームの長澤さん、松岡さんと3人で、誰が1番になるかを楽しんで参加しました。去年は長澤さんと松岡さんで、1位、2位を争っていたんです。こんな楽しい思いを2人だけにさせてなるものかと(笑)。ですから、今年の2人の悔しがりようを考えると今でも嬉しいですね(笑)。3人とも同じ年なので、これからもずっとそうやって続けていけたらいいなと思っています。

コナが見えてきましたね。今後のご予定はございますか。

実は、3年前にもコナには行きました。自分が出た年には日本人枠があって、上位者の他に2名ほど多く出られたんです。棄権者も出て、その2人にギリギリ入って自分に回ってきました。コナはやっぱり違います。予選を勝ち抜いてきている人がほとんどなので、前半はともかく、後半に入って少し疲れてきたところで周りを見回すと、高齢の方や女性ばかりで、それもすごく速くて驚きました。同年代の人は同じペースでは走っていないほどでした。ボランティアの人たちもすごかったです。自分たちが世界一の大会をサポートしているというプライドをお持ちなので、本当にもてなしてくれました。
その後は、先日久保埜さんが優勝したアイアンマン・ケアンズでおととし、去年と狙っていったのですが、順位的には同じくらいで伸びることもありませんでした。故障したわけでもないのに上も狙えず、かといってそこまで遅いわけでもなく、不完全燃焼感が残りました。このままここに出続けてもと思い、今年は気分転換として五島に出場したところ意外と良い結果が出ました。この波に乗って、10月のアイアンマン・マレーシアに出たいと思っています。そこで頑張りたいです。3年目のコナ、行きたいですね。

篠塚さんのお話から、チームで楽しんで続けていることが伝わってきました。コナ再出場を期待しています。ありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
久保埜 一輝 様

念願のコナで、トップ10を目指します。

アイアンマン・ケアンズ アジア-パシフィック選手権(IRONMAN ASIA-PACIFIC CHAMPIONSHIP CAIRNS)での優勝おめでとうございます。日本人選手として1位という快挙を成し遂げられました。

今までアイアンマン・ジャパンで優勝したことはあったのですが、海外、そしてアイアンマン・ケアンズで優勝できるとは思っていなかったので、めちゃくちゃ嬉しかったです。特に2位、3位のオーストラリアの選手は体格も良く、こんな選手たちに勝ったのだと自信もつきました。お祝いのメッセージもたくさんいただきました。ケアンズはアイアンマンの中でも日本人が注目しているのだと思います。直行便もあって行きやすいですし、頑張ればタイトルに手が届くような、ちょうど良い大会なのかもしれません。

実は、アイアンマン・ケアンズへ参加したのは初めてです。この大会も他のアイアンマンと同じくコナ(アイアンマン世界選手権:IRONMAN World Championship)の予選レースなのですが、アジア-パシフィック選手権も兼ねているため、より強い選手達が集まってきます。日本を含めアジアからオーストラリア、ニュージーランド、さらにヨーロッパからの参加選手もいます。日本からは200人以上という相当な数が参加しましたが、自分のエイジでは日本人は10人程度と少なかったですね。申し込み自体は簡単なのですが、アイアンマンは完走することが大変です。
アイアンマン・ケアンズは、スイム3.8キロ、バイク180キロ、フルマラソンというレースです。過去の記録で例年のタイムや選手を調べてみると、自分より速い選手が1人、2人いて、自分が優勝できるレベルではないと感じていましたが、世界選手権の枠も2か3という予想で、各年齢区分の完走率によって配分が決まるので、2位に入らないと安心できない状況でした。ですから、もちろん優勝するに越したことはないのですが、2位以内は絶対にとろうと決意していました。

このような海外の大きな大会では、レース準備は変わるのでしょうか。

基本的には変わりません。ただ、6月にターゲットを合わせたのは人生初です。北海道に住んでいたので、6月というと雪解けして春が終わった直後です。ところがケアンズは夏ですよね。それで、今までは出たくても出られませんでした。そこが少し難しかったですね。冬も練習できましたし身体は大丈夫だったのですが、オフの過ごし方が難しかったです。
アイアンマンは基本的に長いレースなので、自分の中で出し切ることが最速だと思います。まずは周りに惑わされずに自分のペースで行くことをベースにしました。スイムではトップでしたが、バイクが終わった時点では3位、4位くらいでした。この時点で、順位は予想よりも前だったのですが、思ったよりも差が付けられてしまい、まずいと思いました。このままどうせとれないのであれば、攻めてとれないほうを選ぼうと思い、序盤に勝負をかけてとりあえず前を目指しました。すると、ランの半分くらいで1位になれたんです。そこからは安全にというか、潰れないよう無難に走りました。ランは普通にいけば何とか勝てるかもしれないと思っていましたが、圧倒的ではなかったので、そんな簡単にいくとは思っていませんでした。想定外でしたね。結果的にはバイクが速くてランが遅い人たちが前にいたのだと思いますが、バイクもランも速い人もいるので、走ってみないとわかりません。少し暑かったですし、バイクでは風が強かったので、もしかしたらバイクが速かった人たちは無理して速かったのかもしれません。それでランで走れなかったのかなと。

ケアンズでも粉飴がお役に立てたと聞き、嬉しく思っています。

ケアンズでは補給がうまくいきました。粉飴ももちろん使いました。レース中にはいろいろな補給食をとるようにしています。粉飴は塩分が入っていないので、バイクのボトルに粉飴ジェルタイプを10本入れて、そこに塩を追加しました。塩は、ナトリウムだけではなくカリウム、カルシウムなどいろいろ入っているものです。それを水で溶かしたボトルを1本、補助ボトルとして作りました。これはあくまで補助で、ベースはそのまま原液でとるようにしました。後半になるとジェルをとるのが辛くなってくるので、そのようなときには液体と一緒に飲むようにしています。前半の元気なうちはジェルでもゴクッと飲めるのですが、疲れてくると飲み込むことすらできなくなるんです。
カロリーで言えば、1800キロカロリー強くらいを補給食でとりました。補給でスポーツドリンクやコーラなども出てきますので、それも含めたらそれよりもう少しとっています。本当はもっととりたいところですが、それ以上とったところで吸収するわけではありません。とった分をすべて吸収するのではなく、身体の中のものをエネルギーに変えながら走ったりもしています。

今回優勝したことでコナへの道がつながりました。今後のご予定をお聞かせください。

コナの前に、9月の佐渡国際トライアスロン大会のBに出場する予定です。せっかく連勝を重ねてきているので、最低限優勝はしたいと思っています。このままいきたいですね。ただし、けっして楽勝だとは思っていません。そういうときこそやられてしまうものです。
10月にはいよいよコナです。アイアンマンを目指す者にとって、コナは聖域です。コナに出た人は皆口を揃えて「初めてのコナは失敗する」と言います。出たことのある人に聞くと、日差しが生半可ではないようです。日焼けして体力を奪われてしまわないよう注意が必要でしょうし、暑くなっていくので、バイクはキツくなるでしょう。時間が遅くなるほど風も強くなり、強風も手強いと聞きます。あとは、時差対策でしょうか。

優勝するには9時間を余裕で切るくらいでないといけません。それくらい難しいところですし、世界的に年々レベルが上がっている気がします。まずはトップ10、そして日本人トップを狙っていきたいと思っています。

前回インタビューはこちら

インタビュー:トライアスロン
佐藤 文昭 様

コナには6度出場してきましたが、80歳での完走を目指して挑戦し続けます。

主な出場レース
2018年 IM・ハワイ、野尻湖トライアスロン
2017年 IM・ケアンズ、IM70.3・プーケット
2116年 IM・ケアンズ、IM台湾
2115年 IM・ケアンズ、IM・ハワイ
2014年 IM・ケアンズ、IM・ハワイ
2013年 IM・カルマル、IM・ハワイ
2012年

IM・カルマル、IM・ハワイ

1984年 皆生トライアスロン、IM・ハワイ

今年で78歳を迎えられたとのことですが、ずっとトレーニングを続けていらっしゃるのでしょうか。

大学時代には山岳部にいました。山登りを続けたいと思ってウェイトトレーニングをしたり、トレーニングとしてランニングも続けました。腕立て伏せや腹筋、天突き体操とかね(笑)。好きだから一生懸命やってきたのでしょうね。昭和39年には、後楽園の地下にあるヘルスジムというジムでウェイトトレーニングを始めました。都内でウェイトトレーニングができるところはそこくらいしかなくて、そこで三島由紀夫と時々遭遇することもありました。上半身は鍛えているのだけど腰が小さくかったのを覚えています。すごく有名な、ボディビルの元祖と言われる遠藤さんという方がいるのですが、その方も来ていましたね。
ある時、ある京大霊長類研究所・久保田競教授の本で、ランニングをしているとランナーズハイという状態になって、走れば走るほど永遠に走り続けられるような気分になると読んだんです。僕は今まで、ランニングというのはひたすら苦しさを求めて、苦しければ苦しいほど効くと思っていました。昔はそうでしたから。だから、新しい世界でしたね。その本を読んで考え方が少し変わったのか、5キロでも死ぬほどくたびれていたのが、ゆっくり走ることでフルマラソンを完走できるようになりました。僕が大学を卒業した年にはちょうど東京マラソンがあり、君原選手や円谷選手が出場していました。君原選手が苦しそうに首を振りながら走るのを見て、俺が5キロで苦しいのを、あの8倍やるのか!と驚きましたね。でも、そうではなかったんですよね。42キロ走るためにはペース配分というものがあって、苦しかったらもたないわけですから。また、山西哲郎さんという、群馬大学の教授でマラソンランニングの指導をしている方が素人向けに講演会をやっていて、そういったものも聞きにいったりしているうち、マラソンが面白くなりました。

トライアスロンを始めたきっかけをお聞かせください。当時はトライアスロン人口も今ほど多くなかったと思いますが、どのような状況だったのでしょうか。

マラソンの後、次に始めたのがトライアスロンでした。たしか「ランナーズ」という雑誌だったと思います。そこに、トライアスロンの記事が出ていたのがきっかけで、JTRCというトライアスロンクラブに入会しました。その頃、皆生トライアスロン大会があって、まずはそれに出場しました。そこで完走できたので、次はハワイに挑戦ようと思い、トライアスロンを始めてから2年くらいで、1984年の第6回アイアンマンハワイに出場し、しかも完走することができました。44歳のことです。当時、ハワイの大会も6回目でしたから、主催者(代表バレリー・シルク女史)としても全世界に広めたかったのでしょうね。日本人100人までなら出たい人は誰でも出ていいですよという枠があったのです。それで手を挙げました。たしか、それで50〜60人が出たと思います。その大会は、日本人の男子1位・中山俊之が女子の1位に初めて勝った大会になりました。それまで、日本の男子のトップは女子に敵わなかったんですね。
ハワイは次の年にもありましたが、1度出たからもういいかなと思い、その年は出られたのに出ませんでした。その次の年から日本人枠がなくなったのです。それでアイアンマン琵琶湖に出てみると、僕は全然問題にならなかった。要するに、年齢別で上位何人かに入らないとハワイに出られなくなっていたのです。もちろん完走はしましたけど、とてもハワイに出られるような順位ではありませんでした。
その後、宮古島の大会も始まりましたが、僕はずっと出ていませんでした。宮古島は5月の連休直前、4月の開催です。もう廃業してしまいましたが、僕は市ヶ谷の法政大学の隣で本屋を経営していて、学校の中にも売店があったので、新学期はかき入れ時でした。とてもじゃないけど4月にトライアスロンには出られません。そんなわけでずっと宮古島には出ていなかったのです。ところが、宮古島というのは世界で唯一、上限65歳というケシカラン年齢制限があります。それで上限の65歳になる年に最後だと思い宮古に出ましたが、そこでも完走することができました。

その後、72歳でアイアンマンコナへの再出場を果たされています。

2012年、72歳の時にスウェーデンの大会に出場したのですが、70歳以上がなんと僕しかいなかったのです。それまで、宮古もアイアンマンもその大会を完走したいから出ているわけで、ハワイに行こうという思いはまったくありませんでした。ところが、完走したらハワイに行けることがわかって、それで完走すると本当にハワイに行けてしまいました。行く前は、スウェーデンは高齢者が元気なイメージだったのですが、実際は意外といなかったんですね。僕の年代になると、いくら頑張っても年には勝てないこともありますし、いい加減諦めたほうがいいかなと思ったりもします。ですが、最近は70歳、80歳を超えると日本人は強いと思うようになりました。稲田さんは85歳で出ていますからね。

僕は、コナには6回出場しています。1回目が先ほどお話しした1984年、2回目が2012年で、どちらも完走することができました。2013年はゴールインしてメダルももらいましたが15分遅れで記録に残りませんでした。2014年、2015年は完走できず、6回目の今年もできませんでした。そんなわけで最後の完走は2012年です。ですから、もちろん来年も出たいのですが、どこかでスロットを取らなければなりません。これまでは、スウェーデンで2度、ほかはオーストラリアのケアンズで取ってきました。しかし、75歳をすぎると疲れてしまって大変です。60歳までは、アイアンマンハワイも、出させてくれたら完走なんてしてやるぜという感じだったのですが(笑)。

普段の食事には気を遣われていますか。レース時の補給についてもお聞かせください。

食事は普通ですね。一時期興味があって玄米菜食主義を実践していたことがありますが、面白いなとは思ったものの、その後普通に戻ってしまいました。レース中は腹が減ってしょうがないですね(笑)。今までは、エナジーバーを切って4等分して、あらかじめ自転車のポケットに入れておいて、時々出して食べていました。去年からは粉飴を使っています。粉飴だと非常に管理が楽ですよね。味も好きです。甘すぎずにちょうどいいのです。
自転車で使うのは粉タイプです。ジェルはランニングの時にはいいのですが、自転車だと片手で面倒です。あらかじめハサミで切れ込みをもっと入れておけば、ジェルでもパッと取れるのですが、けっきょく飲んだ後のパッケージをどこかに入れなければなりませんから。僕の場合、粉飴の粉タイプ400グラムを1リットルくらいの水に溶かして、クエン酸とブドウ糖も入れて取っています。ブドウ糖は頭の栄養のためです。ランナーはいろいろなことを考えますから頭を使っているらしいですよね。マラソンでは集団の中で走るのが一番楽なのだそうです。なぜなら考えなくていいからです。一人で先頭を走ったりすると、後ろから来るかとか、このペースは速すぎるのではないかとか考えて、脳でブドウ糖をものすごく使ってしまうそうです。アイアンマンには途中に預けるところがあるので、半分を持っていって前半で全部飲んで、後半はまた1本取ります。ですので、1500〜1600キロカロリーくらいですね。さらに、用心のために、カフェインが入っているジェリーを中間点で飲みます。水は、トップスピードを溶かした750ミリのボトルが4本くらいです。他にエイドで冷たい水をもらって身体にかけてついでにそれも飲みます。
ランの時には、粉飴ジェルの100カロリーを3本くらい持っていきます。この前の大会では飲まないうちに潰れちゃいましたけど(笑)。

どのようなトレーニングをされていますか。

僕は、宮古島完走の前から2年くらい前まで、宮塚英也さんというコーチに毎月プログラムを作ってもらって、それを正直にやっていました。宮塚さんはIMハワイで10位以内に2度入ったという方です。彼を超える方はいまだ出ておりません。彼のプログラムはすごく楽で、辛くありません。昔の僕のやり方は、土日にへとへとになるまでやって、2〜3日何もせずにまた週末やるというものでした。商売をやっていますから、普段なかなかトレーニングできず、土日にまとめてやっていたんです。そうではなく毎日少しずつやる。毎日1〜2時間やって、週末少し余計にやる。宮塚さんはやりすぎるなって言うんですよ。俺のプログラム通りにやったら必ずアイアンマンを走れるからと。それで見事に宮古島も完走できました。その後、五島列島のアイアンマンジャパンでも完走できたので、それが良かったのでしょうね。2012年にコナに出場した時も、宮塚さんの指導で完走ができました。最近は、パワーメーターというものが出てきたので、それを使用したトレーニングに興味をもちまして、宮塚さんからはプログラムをいただておりません。

トライアスロンの魅力は何ですか。

実は、僕はスキーが大好きで、冬の間はスキーをやります。山スキーなので、固めていない、誰も滑っていないフワフワところを滑るのですが、積もったばかりの新雪はまるで流体、比重の重たい気体です。そこをスキーで滑空するのですが、ヒュッヒュッと回転するその瞬間がこの上ない快楽です。ところが、トライアスロンには一瞬一瞬の快楽はありません。結果の喜びなのです。ゴールインした時にやったーとなる、その感じです。トライアスロンを完走するのは、汗と涙と根性ではありません。完走するための計画があり、それをこなしていくことで、結果として完走することができるのです。僕は昭和15年4月生まれなので、あと1年4カ月で80歳を迎えます。ですから、80歳でなんとか完走してやろうと思っています。80歳+カテゴリーで完走すればおそらく1位で、稲田さんは85歳+で1位となるでしょう。

大きな素晴らしい目標ですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。これからのご活躍を心よりお祈りいたします。

インタビュー:トライアスロン
吉川 直人 様

走ることで、自分で自分の機嫌を作っています。
次の目標は、フルマラソンで60台サブスリー達成とアイアンマンでコナに行くことです。

主な出場レース
2018 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100km)
五島長崎国際トライアスロン大会
富士登山競走17回目完走
佐渡国際トライアスロン大会
日本山岳耐久レース20年連続20回完走。スーパーアドベンチャーグリーン獲得
2017 トライアスロン宮古島大会
五島長崎国際トライアスロン大会
日本山岳耐久レース

トライアスロンを始めたきっかけを教えていただけますか。

今63歳ですが、トライアスロンは29歳から始めました。学生時代には自転車に乗っていました。先輩が自転車雑誌の編集者をしていた繋がりで、仕事をさせてもらっていたことがあったんです。その時にたまたま目にした第1回のハワイアイアンマンの特集を見て、それでトライアスロンのことを知ったのが最初のきっかけでした。
私は小学校の教員をしていたのですが、プール指導がとても盛んなところでした。今ではあり得ませんが、朝7時から夜6時までプールにいたような時期があって、そこできちんと泳ぐようになりました。マラソンも、青梅という土地柄か、とても盛んで、26歳の時には職場の仲間と共に青梅マラソンに出場しました。当時のトライアスロンは、皆生、宮古島と、最後はフルマラソンでしたから、フルマラソンで3時間切ったらトライアスロンをやろうと決意したのが、29歳の時です。それで夢中になって走り出して、無事に3時間を切ることができて、30歳の時には第2回宮古島に出場しました。これがロングのデビューです。
もう33年も前のことですが、感動しましたね。強い感銘を受けて、これこそライフスポーツだと思いました。あまりにも綺麗で、こんなところで好きなことが出来るなんてなんて幸せなことなんだと、バイクに乗りながら涙がこみ上げたことを覚えています。

その後ずっと続けられたのですね。

トライアスロンに夢中になって3年目、第1回日本選手権の開催が決まった時には、第3回宮古島で出場資格を獲得しましたが、その後に母が亡くなり、エントリーすることは結局ありませんでした。そこで一度トライアスロンは途切れます。転職したこともあって8年くらいのブランクになりました。その後再開したのは、長女がスイミングをやっていた時、コーチがトライアスロンを勧めてくれたことがきっかけです。「お父さんもやっていたと聞きましたが、一緒にどうですか」と誘われたんです。それで、40歳前に決意して8年ぶりに復帰し、トライアスロン、デュアスロンと夢中になってやりました。
44歳の時、トライアスロンの練習がわりに、ハセツネと言われている日本山岳耐久レースの第6回大会に出場したんです。これがまた衝撃でした。本当に大変で、ゴールした時は感動よりもただただ終わったと呆然としたことが強烈な思い出です。そしてこれに比べたら至れり尽くせりのトライアスロンって楽勝なんだ…とその時は思いました。ところが面白いことに、明け方にゴールした後、翌朝寝袋の中で目が覚めると、戦略を練っていたんです。何を買えばいいか、来年はどうしようとか、自然と考えていました。
そして4年目あたりからエイジ入賞出来るようになると「オレは山に向いている!」と完全に火が着き、2005〜2006年あたりは完全にスイッチがトレランに切り替わりました。トレーニングで始めたハセツネがいつの間にかメインレースになって、40代後半から50代中頃までは完全に山一本でしたね。結局、そして気がつけば今年で20年連続出場。無事に「スーパーアドベンチャーグリーン」という20回完走の称号をいただいて、来年からは招待選手として出場できるようになりました。

トライアスロンとトレランどちらも楽しんでいらっしゃるのですね。どのようなバランスで取り組まれているのでしょうか。

僕は1955年生まれなのですが、1955年生まれが55歳になる年(2010年)に、1年間、自分も含めてみんなをびっくりさせてやろうという、サプライズ55という自己キャンペーンを張りました(笑)。
9月に55歳の誕生日を富士山頂で迎えたその日から始めました。人間、スイッチが入ると色々とできるようになりますね。フルマラソンで25年ぶりのサブスリー(25年ぶりの自己ベスト)を達成しました。100キロマラソンでは8時間32分というとんでもないタイムも叩き出し、ランニング大会では初めての入賞も果たします。他にも、富士登山競走でも4時間を切って完走しました。実は、市民ランナーのグランドスラムをずっと目標にしていて、それまでできていなかったのですが、それもあっさりクリアすることができました。締めに、久しぶりにトライアスロンをやったんです。その久しぶりのトライアスロン感覚にまたはまって、そこからトライアスロンに復帰しました。
年齢が高くなってからはエイジで入賞できるようになったので、ロングの世界選手権への挑戦を目指すようになりました。2015年にはJTUのロングディスタンスのポイントランキングの60-64のクラスで1位を取って、世界に行けるところまで来ました。しかし、仲間である高倉豪さんのハワイのお疲れ様会をした時に、「世界戦はまだいつでもいけますよ。ハワイを目指しましょうよ」とたきつけられたのです(笑)。それがきっかけで火が付いて、2016年には「コナへ行く!」と宣言しました。豪さんも一緒に練習を積んで、自信満々でケアンズに向かったのですが、こけましたね(笑)。うまくいかずだめでした。
今度はハワイをきっちり取りに行くため、今はまたトライアスロンモードにスイッチが入っています。ただ、去年、フルマラソンで、60代で3時間以内を目指したのですが、僕の記録はネットタイムで3時間0分2秒だったんです。本当にもったいなかった。サブスリーはもう少しでできそうでできないんですよね。調子に乗って落とされるという連続です。これをクリアしたら、完全にトライアスロンモードに入ろうと思っています。

栄養補給についてはどうお考えですか。また、粉飴はどうやってお知りになりましたか。

補給を考えるのが昔から好きで、家内も面白半分で協力してくれていました。餅米を炊いて、潰して、小さいおにぎりのようにして携行したり、かなり念入りに装備してきました。ただ、ご飯類が実際のエネルギーになるのは2日後くらいだと言われています。食べてすぐにエネルギーになっていると思っているのは脳だけだそうです。本来はそれだけではぜったいに足りないのだけど、脳が安心して騙されてくれるんです。固形物というのは本当に気分的なもので、なるべくなら吸収の早いジェル系のほうがいいと思うようになりました。
30代の頃は、ハンガーノックもしょっちゅう起こしていました。練習でもガクッと落ちて、何か食べ物が落ちていないかと思うくらい腹が減ってしまって苦労しました。そんな時にジェルを1本食べると、20分後には何事もなかったかのようにまた走れるんです。ですから、ジェルが本当に効くということは実感として持っていました。速くきちっと吸収されることが重要です。
実は、2015年頃、マルトデキストリンがいいとネットで見たり、人から聞いたりして、粉飴ではないのですが一度使ったことがありました。しかし、味付けで失敗してしまい、気持ち悪くなって散々な思いも経験しました。それ以来、自分でジェルを作るのは難しいと思っていました。その後、会場で粉飴の粉タイプをいただいて、説明を聞く機会がありました。好きに味付けができると聞いて、それからまた復帰して使っています。ジェルタイプもほとんどクセがない味なので、今ではジェルはほとんど粉飴だけです。
昔はすぐにお腹が空いてしまうタイプだったのですが、粉飴は燃費がいいですね。今は、粉飴があれば大丈夫なようです。そんなわけないだろうと思ってたくさん持っていっても、ほとんど残して使いません。それに、以前は熱しながら溶かしたり、作るのも大変でした。粉飴は少しダマが残っていても、走っている間にほとんどきれいに溶けています。

具体的にはどのようにお使いになっていますか。

使い方としては、750ミリのボトルに粉飴350グラムほど入れ、オレンジジュースで溶いて、エアロボトルに入れています。さらに、お守り代わりに粉飴ジェルを1本持っておきます。この間の山岳耐久レースでも、エネルギー補給はそれでした。500ミリを粉飴350グラムで溶くのでけっこうドロドロですが、とろみ感が好きなんです。そこにクエン酸と塩を入れて、好みの味にしています。それを中間地点までに飲み尽くせば、あとはなしでも大丈夫です。
長時間のトレランレースでは、今年は暑かったので、500ミリ2本と後ろの2リットルのリザーバーで3リットル持っていました。2リットルのほうには、粉飴5%くらいをオレンジジュースと水で薄めて、クエン酸と塩で酸っぱくしたものを入れます。エネルギー用には、500ミリのソフトフラスクに先ほどのドロッとした粉飴を食料として持ちます。もう1本は大好きな自家製甘酒と豆乳を混ぜたもの。この配合は内緒にしておきたいくらいとても良いです。調子も良いですから。

毎日が充実されていますね。

今は来年コナに行こうという気持ちでやっています。その前に今年中にサブスリーを達成したいので、忙しくてしょうがないです(笑)。

吉川さんの本当に楽しそうにお話ししてくださる様子から、トライアスロンとトレイルランニングどちらにも共通する、走ることの楽しさが伝わってきました。ありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
古川 康弘 様

コナ出場権を獲得して心からワクワクしています。
30年間トライアスロンをやってきた何よりのご褒美です。

主な戦績
2018 アイアンマンクレ 年代別1位
2017 アイアンマンケアンズ 年代別5位
2016 アイアンマンケアンズ 年代別18位
2014 アイアンマンケアンズ 年代別25位
2013 アイアンマンケアンズ 年代別6位
2012 徳之島トライアスロン 年代別1位
アイアンマンメルボルン 年代別8位
2011 佐渡トライアスロン 年代別7位
2010 皆生トライアスロン 年代別13位
1992、1997~98、2002~07 宮古島トライアスロン
2000 8月 第14回オロロン 年代別5位

トライアスロンはどのようなきっかけで始められたのですか。

今66歳ですが、トライアスロンを始めたのは35歳のときです。20代の半ばからジョギングを始めて、フルマラソンもやるようになりました。32歳の時、第1回全日本トライアスロン宮古島大会がテレビで生放送されていたのをたまたま見たんです。興味半分で見ているうちに、自分にもできそうだと思いました。フルマラソンも走っていましたし、20歳の頃からサイクリングで北海道から鹿児島、沖縄まで走ったこともありましたから。そのまま3年が経過しましたが、35歳の時にどうしてもトライアスロン大会に出場したいと思いました。しかし、泳ぎはできなかったので、その年の始めにスイミングサークルに入りました。3カ月後には400メートル休みなしで泳げるようになり、その後、福岡玄海のトライアスロンでデビューを果たしました。
初めて大会に出て完走し、トライアスロンはこんなに楽しいものなのかと思いました。海で泳ぐのも初めてだったのに、恐怖感よりもワクワク感が止まらなかったほどです。クラゲが多かったのですが、それすら海で泳いでいるという実感となって、スイム・バイク・ランのすべてが本当に楽しかったことを鮮烈に覚えています。ずっとトライアスロンをやっていこうと思いました。
1989年には、石垣島の大会でたまたま同じ宿に泊まった東京、沖縄、北海道の人と意気投合して、4人で一緒にチームを結成しました。チーム名は、石垣島で知り合ったことから、「ストーン(石)キッズ(餓鬼=垣)」といいます。当時はあまりチームというものがなかったのですが、その後まもなく第1次トライアスロンブームと言われるブームがきて、全国にたくさんできるようになります。私たちのチームも4人でスタートしましたが、募集したわけでもないのに口コミで少しずつメンバーが増えて、今では50人ほどの仲間がいます。

ロングの大会に多く出場していらっしゃいます。

年を取ってくるとショートでは勝負になりませんから、やはりロングでないと面白くありません(笑)。ロングではレース運びと粘りが重要です。若い人は意外と諦めてしまうことが多いのですが、年を取っていると、諦めずに走り、結果的にどんどん抜いていきます(笑)。
トライアスロンIN徳之島大会は、縁があって毎年出ています。エントリーをして出場が決まると、島の子どもたちから手紙がくるんです。10年くらい前に大会に出た時、小学5年生の女の子から手紙がきました。大会が終わった後にその女の子と親御さんと会う機会があり、それから文通を続けています。それ以降毎年徳之島には出場しています。

豊富なトライアスロン歴をお持ちの古川さんですが、今年はコナ出場権を獲得されました。

チーム結成から2年くらい経つと、運動経験も向上心もあるメンバーが入ってきて、コナへ行く人が出てくるようになりました。今ではすでに5人のメンバーが行っています。それを見て羨ましい気持ちはあるものの、とても手が届かないと思っていました。ところが50歳になる頃、もしかしたらという思いが芽生えてきたんです。年齢が上がれば競技人口も減っていきますから、いずれ手が届くかもしれないと。一生懸命やってみようと思ってトレーニングのレベルも上げて、60歳になったときには「これはいけるかもしれないな」と思えるくらいまできました。ここまでやってきて諦めるのも悔しいですし、何が何でも行きたいという気持ちで、アイアンマンだけをターゲットにして、今年、ついに手が届きました。
実は、自分の中で、ハワイに行く最低条件として「サブスリーでないとコナには行けない」という信念めいたものを持っていました。ハワイに行ったチームメンバーは、私以外の全員がサブスリーを達成しています。そのくらいのレベルの人間じゃないと手が届かない。そう思ってサブスリーを目指してきたのですが、結局達成することはできませんでした。そんなこともあって、サブスリーじゃなかったのにという思いがありました。しかし今は、自分がひっくり返してやればいいと思っています。一番大切なのは、「コナを目指す」という思いです。心の中では「稲田さんの後は俺だ」と思っています(笑)。もちろんそんな大それたことを本気で考えているわけではありませんが、そういう思いを持ち続けないとできないと思うんです。ただトライアスロンが好きだというだけでは、ハワイを目指すほどのトレーニングを続けることはできません。

コナを初獲得して、こんな気持ちにさせてくれるのかと幸せを噛みしめています。私は9月のコリアで出場権を取得したので、幸せなことに、コナに出るまでの楽しみが1年間続きます。1年ありますからトレーニングも十分できますし、このワクワク感を持って来年の10月まで過ごすことができるのです。1年間そんな思いでいられるのが何よりのご褒美です。ハワイで上位などは非常に難しいこともわかっていますが、トライアスロンを始めてから30年かけて目指してきたところについに立てるわけです。楽しんで、自分が納得のいく走りをしたいと思っています。

練習はどのようにされていますか。

チームメイトの山内さんのアドバイスで、練習内容をガラッと変えました。ハワイに出場することができたのも、彼のおかげだと思っています。それまでは、素人のトライアスリートにありがちなのですが、レースペースよりもやや強度の低いトレーニングレベルで長時間、長い距離を練習していました。アドバイスをいただいてからは、トレーニングのメインを高強度で短時間のメニューに変えました。それで特別強くなったわけではないのですが、60歳くらいからタイムがほとんど落ちていません。
チームの合宿では千葉まで行って、江戸川サイクリングロードでバイクのトレーニングコースをします。トライアスロンはエアロポジションで走るトレーニングが大切です。なるべく長時間、レースと同じフォームで走れる環境がどうしても必要なのです。そういった環境が現在住んでいる長野にはありません。長野は自転車が非常に盛んで、イベントもクラブも多いのですが、結局は車道での練習になってしまいます。
3年ほど毎月1回千葉での合宿を行っています。それを今年は毎月2回に増やしました。時間も費用も掛かりますが「どうしてもコナへ」の思いを理解してくれた妻は快く?送り出してくれています。本当に頭が上がりません。家族の理解があってこそのトライアスロンそしてコナだと思います。

栄養摂取についてはどのようにされていますか。

トライアスリートとして特別に意識していることは特にありません。ただ、好き嫌いなく3食バランス良く取っていますし、特に野菜が好きで、普通の人よりも多く取っていると思います。
練習では粉飴を主に使っています。クセがなく飲みやすいところが気に入っています。バイクの小さいボトルに4分の3くらい粉飴を入れるのですが、そんなに入れても、不思議なほど粉飴は溶けやすいですよね。そのうえジェルのように粘度が高くなく、甘すぎることもありません。粉飴は味が付いていないので、シークヮーサー果汁を入れるのが私のお気に入りです。最近シークヮーサーのパウダーも見つけました。果汁は液体で海外に持っていきにくいので、今後はそういったものも活用したいですね。それから、もう一つ必ず入れるのが塩です。私は人一倍汗かきなので、塩をバイクに積んで、ランの時にも必ず持つようにしています。ナトリウムが不足すると痙攣しやすくなってしまいますから。
実は、レースでは粉飴は使っていませんでした。ロングの大会では1500キロカロリー前後を準備するのですが、今までは他社のエネルギー補給ドリンクを使っていました。バイクのボトルに4本を入れて、余った空間に水を入れて薄め、果汁や梅エキスを1袋ほど入れて、自分好みの味と濃さにしたものを30分おきに取っていました。今年から、レースでも粉飴を使い始めています。そのドリンク3本、梅エキス、粉飴ジェルを入れてみましたが、とても良かったですね。今までの慣れから粉飴は少し入れるだけに留めましたが、次からは粉飴にしようと思っています。ハワイでは粉飴を使う予定です。
また、クレではレース前の朝食は粉飴ジェルとバナナにしました。レース当日はもちろん、レース3週間前から朝食はこのメニューで身体を慣らしました。おかげでレース当日はストレスなく朝食を取り、レースに臨むことができました。スイムで自己ベストを更新できたのも粉飴ジェルのおかげかもしれません(笑)
レースでの補給はバイクで取るためのものです。バイクで準備した補給をすべて取り切れば、残りのランはエイドにある水とスポーツ飲料でゴールできます。経験的にそれがわかるようになり、ランでのスタミナ切れを感じたことはありません。トレーニング後は、アミノ酸やたんぱく質、プロテインを取るように心掛けています。

60代に入って、トライアスリートとしてますます充実されていますね。

私は電力会社に勤めていたのですが、55歳で定年を迎えました。ほとんどの方が再雇用、再就職する中、家庭の事情もあってサラリーマンを卒業し、それからはトライアスロンが主体の生活です。トライアスロンの傍ら林業もやっています。50歳の時に長野に引っ越したのですが、せっかく長野に行ったのだから山に関わる仕事がしたいと思い、ある林業家の方を手伝うようになりました。
チームを作って10年くらいは初心者の方が入ることも多かったので、トライアスロンについて手取り足取り教えることもありましたが、最近は逆に教わることのほうが多いですね。みんな一生懸命勉強していますから。仲間と飲みながら、いろいろな新しい情報をもらっています。ですから、仲間の存在は大きいですね。トライアスロンを一人でやっていたら、ハワイに行くことは一生あり得なかったと思います。

古川さんのコナでのご活躍を心よりお祈りいたします。本日はありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
長澤 宏隆 様

仲間とともに競い合うトライアスロンは最高に面白い。今が一番の青春時代です。

主な戦績
2018 佐渡国際トライアスロン大会エイジ3位
五島長崎国際トライアスロン大会 エイジ優勝
宮古島トライアスロン大会エイジ2位
宮古島ワイドーウルトラマラソン総合6位
2017 五島長崎国際トライアスロン大会 エイジ3位
宮古島ワイドーウルトラマラソンエイジ優勝
2016 佐渡国際トライアスロン大会エイジ優勝
参加レース(予定)
2019 宮古島ワイドーウルトラマラソン(1月)
宮古島トライアスロン大会(4月)
五島長崎国際トライアスロン大会
皆生トライアスロン大会
佐渡国際トライアスロン大会

トライアスロンを始められたきっかけを教えてください。

28歳くらいの頃、見るも無惨なほど太っていたんです。学生時代は水泳部だったのですが、運動をやめてから一気に太ってしまいました。同じ職場にトライアスロンをやっている方がいて、痩せたいと思って、試しにバイクが20キロくらいの短いものに出てみたのがきっかけです。やり出すとどんどん痩せますし、面白くなりました。
ただ、45歳くらいからスピードが落ちだして、52歳の今ではあまりスピードが出なくなってきました。マラソンも49歳でサブスリーを達成したのを最後に、今は3時間1桁くらいで、一番速かった頃に比べて20分弱遅くなっています。それで、冬にはウルトラマラソンもやっています。距離が長いのは大丈夫なのでごまかせるんです(笑)。

現在は、どのような練習をされているのですか。

私は中学校の教員をしていて、部活では陸上部を受け持っています。練習として、学校の裏にある陸上競技場の周りを、毎朝、子どもたちと一緒に10〜15キロくらい走ります。早い子もいて、しばしばバトルになるのが刺激的です。部活の指導は大変じゃないかとよく言われますが、私の場合、あまり負担になっていません。仲間にはずるいと言われています(笑)。あとは、部活前に自宅で流行のズイフトを1時間回して、夜にも食事前にジムでランとスイムをやることが多いです。月間で平均すると、ランは350Kmバイクは1000Km前後が目安です。
夏はバイクの練習がメインで、冬になってマラソンシーズンになるとバイクからランにシフトし、水泳はあまり練習していません。つまらないんですよね(笑)。1日練習して、最後の水浴び代わりに500メートル泳ぐだけです。月にしてだいたい10キロくらいしか泳ぎませんから、当然、種目の中では一番遅いので、練習不足だと仲間にいつも突っ込まれています。
一人で練習することも多いのですが、所属しているクラブの合宿にも参加します。1月終わりくらいからトライアスロンのシーズンになるのですが、最初に房総半島で合宿をして、ゴールデンウィークには茨城、夏には富士五湖に行きます。富士五湖から静岡まで自転車で行って戻ってきたり、西湖の周りでランニングをしたり。レースも楽しいのですが、こうした合宿や練習会がまた楽しいのです。そこでは潰し合いになるので、練習会に向かって練習をする感じです(笑)。

チームに所属していらっしゃるということですが、どのようなチームなのでしょうか。

「関東鉄人オジサンクラブ」というおしゃれな名前のチームに所属しています(笑)。50代前後が中心のチームですが、レベルが高く、良い仲間が揃っています。松岡さん、楠さん、谷口君、篠原さんもメンバーです。昭和41年生まれがチームの核なのですが、みんな52歳には見えません。負けたくないので老けられないんです。それに、みんな40代半ばくらいから強くなってきています。私も24年やっていますが10年くらい鳴かず飛ばずでした。強くなったのはその後です。子どもが大きくなって余裕ができたことで練習量が増えたことが要因かもしれません。トライアスロンはゆとりと自己マネジメントできるかが大きな鍵です。練習時間を生み出さないといけないわけですから。

チームでは、月に1回くらいで合宿や練習会などのイベントがあって、みんなで集まって練習、情報交換をしています。レースも、どの大会にも10人くらいの仲間で行きます。先日も、クラブの11人で佐渡(佐渡国際トライアスロン大会)に行ってきました。チーム結果は、エイジチャンピオンが3人、2位が2人、3位が1人でした。個人的には松岡さんにやられてしまいました(笑)。松岡さんとは勝ったり負けたりでいつも競い合っています。去年のバラモン(五島長崎国際トライアスロン大会)では松岡さんが1位、僕が3位、2位も同じチームの水沢さんが取って、50代の表彰台を独占しました。今年のバラモンではリベンジで僕が1位で松岡さんが2位と逆転しましたが、今度は松岡さんもそのリベンジに燃えて、佐渡でやられてしまったというわけです。JTUのロングランキングでは50代でMat’s OK(松岡さん)が1位、マイケル(私)が2位でした。来年は逆転したいですね。こんな感じで運動会のように楽しんでします。

レースでの栄養補給はどのようにされていますか。

栄養補給についてはだいたい決まっています。まず、スイムの前に500キロカロリーくらい取ります。バイクパートでは1500キロカロリーくらい取ります。約1000キロカロリーのボトルと、ジェルと羊羹で約500キロカロリーです。それで十分で、他のエイドなどでは摂っていません。計算すると、30分で約100キロカロリーです。ランパートでは粉飴ジェル6本を30分ごとに取ります。ですから、全部で2000キロカロリー程度ですね。僕はウルトラマラソンもやるのですが、やはり30分に100キロカロリーずつ取っています。およそ9時間で18回ですので、1800キロカロリーくらいですね。それで全然問題ありません。
以前は3000キロカロリーくらい持っていっていました。ボトル2本にジェルを10本くらい入れて、さらにエナジーバーのような固形のものも搭載して、とにかく食べ続けていたんです。ところが、補給を取りすぎると、胃に負担がかかって受け付けなくなってしまうそうです。私もだいたいランで気持ち悪くなっていました。それを知ってから固形のものはほとんど取らずに、粉飴ドリンクとジェルだけにしています。トライアスロンを24年やっていますが、固形物を取らずに30分ごとに100キロカロリー取るというこの取り方に到達したのは4年くらい前です。それまでだいぶ苦しんで、ハンガーノックも経験しました。体調が悪くて補給を受け付けなくなり、エネルギーが取れないため動けなくなってしまうのです。胃腸が麻痺してしまうといくら入れても吸収できません。ですから、カロリー取りすぎというのは一つのヒントでした。必要量だけを入れることが大切です。他のことをやると怖いので、この取り方で決まりにしています。

粉飴はどのようにお知りになりましたか。

粉飴との付き合いは長いですね。粉飴が製品として出る前、マルトデキストリンに味付けをして使っている仲間がいて、すごく良いと聞いていたんです。その時は、なんでマルトデキストリンなんだろうと思っていました。自分はいろいろな成分が入ったサプリ的なものを使っていて、そういった系統ものでないと戦えないと思っていたので、実はマルトデキストリンのことは馬鹿にしていました。ただのカロリーだと(笑)。
しかし、そういったジェルは飲んでいる最中に気持ち悪くなってしまうことがありました。特にバイクパートで大量に飲んでいると、気持ち悪くなることが多かったのです。ところが、粉飴は味が強くありませんよね。そこが良くて使うようになりました。

粉飴の具体的な使用方法を教えていただけますか。

使い方は、ロングボトル2本に粉飴を300グラムくらい、だいたい1000キロカロリー分を入れています。味付けはオレンジジュースを使うことが多いです。夏はオレンジジュースが美味しいのですが、冬は甘酒がいいですね。甘酒はけっこう人気ですよ。粉飴はほんのりした甘さなので、甘酒に入れてもまったく違和感がありません。粉飴を入れた後に缶の甘酒を入れて、水で量を調整します。甘酒自体にも栄養素が入っていて、飲む点滴とも言われています。ただ、レースには羊羹を持っていくので、羊羹と甘酒だと甘すぎてもたれてしまいます。それで、レースの時にはオレンジジュースにしています。
遠征には完成品として持っていくのではなく、粉を測って直接バイクボトルに入れたものを送っておきます。そのボトルに現地でオレンジジュースを入れれば、それで補給が完成しますからすごく簡単です。この簡単さが一番良いですね。ジェルをたくさん買って持っていくだけでも相当重くなりますから。コストも違います。練習からレースまでずっといけるので重宝しています。
粉飴ジェルは足りないと思った時にすぐに取ることができますし、マルトデキストリンは吸収が早いので、峠の前にグビッと飲んでおけば安心です。練習の時も折り返しまではなるべく止まらず粉飴ドリンクだけでいって、80キロくらい先のコンビニでアイスやシュークリームを食べて、帰りにまた粉飴を取るような感じです。

今後のご予定についてお聞かせください。

これまで仕事のスケジュールが合わずなかなか宮古には行けなかったのですが、今年は宮古、バラモン、皆生、佐渡と出場することができました。休みが1日しか取れないため、行く時はいつも2泊3日です。それでアイアンマンには挑戦できていません。コナに行くには一週間休まないと行けませんし、お金もかかります。定年したら、ご褒美として挑戦してみたいですね。
来年も、今年と同じスケジュールで出場する予定です。バラモンは先着順の申し込みですので、あまり良いことではないかもしれませんが、クラブのみんなでそこに照準を合わせています。仲間の中で誰が勝つのか、大運動会を目論んでいるんです(笑)。そんな風に勝った負けたで楽しんで、良い仲間が同世代にたくさんいて、そういう意味で今が一番青春時代です。数年先までスケジュールが決まっていますし、みんなで競い合っていますから倒れられません。誰が最初に倒れるか、生き残り合戦です(笑)。
仲間と一緒に続けられるだけ続けていきたいですね。

長澤さんのお話から、トライアスロンを心から楽しまれているのが伝わってきました。本日はどうもありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
池水 雄一 様

毎日走ることを目標にしています。健康にはもちろん、精神衛生にも効果があります。

主な戦績
2018〜2017 宮古島トライアスロン 完走
佐渡トライアスロン 完走
五島トライアスロン 完走
サロマ湖100kmウルトラマラソン 完走
皆生トライアスロン 完走
2016 台湾アイアンマン 完走
参加レース(予定)
2019 12月加古川マラソン
10月Ironman 台湾 or 11月Ironman Malaysia、甲州フルーツマラソン(大菩薩峠コース)
9月佐渡トライアスロン、巨峰の丘マラソン(20km)
7月皆生トライアスロン
6月五島トライアスロン&サロマ湖100kmウルトラマラソン
5月新島トライアスロン、佐渡ロングライド
4月宮古島トライアスロン
3月Ironman台湾 70.3
1月Ironmanドバイ70.3、青梅マラソン or 京都マラソン
2018
12月 加古川マラソン
10月 甲州フルーツマラソン(大菩薩峠コース)
9月 グランフォンド八ヶ岳

トライアスロンを始めたきっけかについてお聞かせください。

僕がトライアスロンを始めたのは2011年です。ですから7年くらいになりますね。そもそもこうしたスポーツを始めたのは、45歳で走り始めたのがきっかけです。今の会社を始める前に半年ほど香港にいたのですが、その時に住んでいたマンションにジムがあり、そこで毎日本を読みながらバイクを漕いでいたんです。ただ、走ることにはまったく興味ありませんでした。
ある日、ジムのバイクがいっぱいでトレッドミルしか空いておらず、嫌だなと思いながらも、仕方なく初めて走ってみました。それこそ時速6キロくらいで、ゆっくりと30分くらい走りました。一緒に行った仲間から「歩くほうが速いですよ」と言われるくらいのスピードでした(笑)。それがけっこう気持ちよかったんです。思ったより気持ちいいなと。それから毎日走るようになって、だんだんスピードも上げていきました。ただ、ずっとレットミルばかりで、外を走るということはしませんでした。なんだか怖かったんですね。

半年後、東京に帰ってきてから外を走り始めました。それからランにはまっていって、2010年、2011年にはだいたい1ヵ月に700キロくらい走るようになります。1年で8000キロ走っていました。僕は超がつく朝型なのですが、毎朝、会社に行く前に2時間くらいハーフを走るという生活をまったく切れ目なく続けていました。ところが、あまりにものめり込みすぎてしまって、2011年の年末にアキレス腱を痛めてしまったんです。歩くのも大変で、半年くらいは走れませんでした。ここは良いと言われるところにはすべて治療を受けに行き、半年後、また少しずつ走れるようになりました。どの治療が効いたのはよくわかりませんし、時間が癒してくれたのかもしれません。その時思ったことは、走りすぎはいけないということです。走るばかりでは良くない、ケアをしなければいけないと思うようになりました。
走れなかった時、何もやらないというわけにはいないと思い、スイムとバイクを始めました。泳ぎは得意でも不得意でもなく普通に泳げたのですが、距離を泳いだことがありませんでした。それも、泳ぎだしてみたら泳げました。それで、トライアスロンをやってみてもいいなと思って始めたのが2011年です。

どのようなトレーニングをされているのですか。

今でも毎月400キロくらい走っています。僕はだいたい朝の3時から走り始めます。始発に乗って会社に行くので、4時には終わらせると決めています。僕は目覚ましは使いません。身体が睡眠を欲しいていれば3時半まで寝ますし、起きたら4時ということももちろんあります。ですから、その日起きた時間によって距離も変わってきます。長い時で1時間くらい、毎朝暗いうちに井の頭公園を走っています。5時45分くらいにオフィスに入り、7時くらいまで仕事をします。オフィスのそばにジムがあるのですが、7時の開館と同時に行って8時まで泳ぎます。100メートル2分くらいで、2800〜3000メートルほどですね。プールは天気関係なくぜったいに行けますから、週に5日間、平日は毎朝泳いでいます。その後、8時過ぎにオフィスに戻って仕事をして、11時半頃にまたジムに行きます。そこではいろいろなメニューをこなします。たとえば、筋トレ20分、ラン30分、バイクを漕ぐなどです。基本的に毎日、接待ランチが入らない限りやっています。ですから、普通の生活で1日3時間くらいは運動していますね。すでに習慣になっていて、やらないと気持ち悪いくらいです。
週末はまとめて走ります。今週末の土曜は25キロくらい、日曜は32キロくらい走りました。土日で天気が悪い日はジムに行きますが、走れないほどの雨の日はあまりありません。週末でも朝に走るので、家族が起きてくる前にだいたい走り終わります。そういう意味では朝型は得ですよ(笑)。誰の邪魔もしないし、誰にも邪魔されません。

チームをつくって活動されているとお聞きしています。

TBRCというランニングのサークルをつくって、いろんなところで活動しています。そもそもは東京ブリオンランナーズクラブというのですが、ブリオンというのは金や銀のインゴットのことです。僕はその業界にいて、もともと駅伝に出るためにサークルを作りました。今では人数も400人くらいに増えて、けっこうな団体になっています。立ち上げたのは2009年で、それこそ僕が走り始めた頃でした。はじめはみんなほぼ素人で、フルマラソンなんてとんでもないというレベルからのスタートでした。それが10年経って、何回かフルマラソンを走り込んだ後、次はどこに行こうかと計画しながら楽しんでいるうちに、活動の中にトライアスロン部、トレラン部などいろいろな部ができてきました。すべてに入っている人もいます。みんなけっこう一生懸命頑張っているんです。
なんら拘束するわけでもなく、走りたい人が入ってきて、気に入ったら一緒にやる。もちろん初心者でもオーケーです。フルを2時間20分台で走る人から、初めてで5キロも走ったことがないような人までいます。年齢も上は70歳から下は24歳まで、本当にいろいろな人が集まっています。業種も、僕みたいな金融関係からオーナシェフ、起業家などさまざまです。だからすごく面白いですよ。自分の学校、企業生活で付き合ってきた友人とはまったく違うところの知り合いがランで繋がっている。本当に真っ直ぐな繋がりです。年齢も関係なくフラットですから、65歳の人と25歳の人が対等にランの話をしています。今はこの集まりが生活の中心になっているような感じですね。

ロングの大会に多く出場されていらっしゃいます。

トライアスロンロングの4つの大会とサロマ湖100kmウルトラマラソンに毎年出場しています。日本のロングには主な大会が4つあって、4つすべて出て完走することをグランドスラムと言いますが、3年連続でグランドスラムを達成しました。僕はウルトラマラソンもやっているので、毎年サロマでも走っていますし、四万十(四万十川ウルトラマラソン)にも行きました。その年の日程によりますが、だいたい五島(五島長崎国際トライアスロン大会)の翌週にサロマがくるパターンが多いので、これが一番の難関ですね。五島はいいのですが、サロマがキツいです。
オリンピックディスタンスも、それはそれで楽しいのですが、あっという間に終わってしまいます。初めはもちろんそこから始めましたが、最近は新島トライアスロンくらいですね。アイアンマン台湾の70.3Kには毎年出ています。70.3Kの前日に51.5Kがあるのですが、前日それに出て70.3Kに出たこともあります。51.5Kは早く終わりますから、土曜日の朝、前日に少し練習するような感じです。

トライアスロンとウルトラマラソン、同じロングでの違いはありますか。

トライアスロンのロングよりもウルトラマラソンのほうが全然キツいですね。ロングということで言うと、トレランのマイラーは僕にはできないと思います。夜眠くなるのがだめなんです(笑)。眠たいのを我慢して何かするということができません。受験生時代から、夜は眠たくなったら寝て、すっきりして、朝起きてから勉強していました。今も、仕事の関係で接待があっても、ぜったいに2次会には行きません。僕が朝早いことはみんな知っていますから、周りも許してくれています(笑)。そんなわけで、サハラ(サハラマラソン)に行ってみたいですね。ステージレースで1日走って寝てという感じなので、それだったら行けるかなと。

栄養補給はどうされていますか。また粉飴はどのようにお使いでしょうか。

もともと補給に関しては神経質ではありません。エイドがあるからいいじゃん、くらいの感じですね。腹が減る前にとりあえず入れるくらいで、細かいカロリー計算もまったくしません。それでも、胃腸が丈夫なのか、食べられるのでエネルギー切れを経験したことはありません。そういう意味ではあまり困らないですね。それに、僕はジェルがどうしても苦手なんです。トロッとした甘い感じが好きではないので、補給は固形のものやバナナが多いです。バナナはクセがなくて食べやすいので、どんなに疲れていても食べられます。バナナを中心に、たとえば佐渡(佐渡国際トライアスロン大会)であれば小さいおむすびやあんパン、あとは羊羹など、そういったものをメインで活用しています。バイクの時にいろいろと補給して、ランの時にもバナナはけっこう食べます。とにかく喉が渇きますし、基本暑いですから、水をかぶって、飲んで、そんな感じですね。
粉飴は、今年出場した4つのロングの大会全部で使わせていただきました。粉飴がいいと聞いて使ってみたところ、味がないのがとてもよかったんです。他のジェルのようにドロッとしていなくて、ほのかに甘い砂糖水といった感じですよね。ちょうど飲みやすい甘さでした。ですから、粉飴の最大の良い点は味が薄いところです。どんなに疲れていても飲めるのですごく良いと思います。
使い方は、750のボトルに350グラムほど入れています。初めて使った時はまさかそれほど入れるとは知らず、思わず驚きましたが、本当に溶けました。濃いものを1本作って、バイクで少しずつ飲みながら走ります。ちょうどバイクパートが終わるくらいに1本飲みきるようなイメージですね。あとは、粉飴ジェルをラン前に取ります。練習でも、ロングライドの時には粉飴を持っていきます。ただ、バイクの練習はなかなか時間がなくて、ほとんどレースが練習のような感じです(笑)。

走ることの魅力はどのようなところですか。

僕の場合、どちらかというと、トライアスロンを目指してやっているわけではありません。基本的に、毎日走ることを目標にしています。最後に走らなかったのは、4年前の12月です。風邪か何かで走れない日があって、それから1日も休まずに走っています。
やはり、走った後の気持ち良さは他には替えられません。もちろん健康にも良いですし、精神衛生上もすごく良いと思います。そうしたランの効果はぜったいにあると思います。走ると、こまかいことを気にしても仕方ないなという気分になります。僕はもともと楽天的で悩むということはあまりなかったのですが、やはり、走り出してからは物事を引きずらなくなりました。
今は立場が違いますが、僕はずっとトレーダーをしてきました。勝つ日もあれば負ける日もあるわけです。負けた時でも、走っていると1日くらいいいやと思えるようになりました。

毎日走り続けてここまで来られたのは素晴らしいことです。池水さんのお話をお聞きして、年齢は関係ないのだと感じました。これからのご活躍をお祈りいたします。

インタビュー:トライアスロン
北條 巧 様

主な戦績
2018
アジアカップ(ラヨン):優勝
アジアカップ(大阪):優勝
U23アジア選手権:優勝
アジアカップ(ソクチョ):2位
アジアカップ(スービックベイ):3位
2017 日本学生デュアスロン選手権:優勝
日本学生スプリングトライアスロン選手権:優勝
日本学生スプリントトライアスロン選手権:優勝
日本学生トライアスロン選手権:2位
日本トライアスロン選手権:4位
2016 日本学生スプリントトライアスロン選手権.男子T.T選手権:優勝
2015 第17回日本ジュニアトライアスロン選手権:3位
参加レース(予定)
2018
9/14   U23世界選手権(ゴールドコースト)
9/30   アジアカップ(村上)
10/14   日本選手権(お台場)
10/27   ワールドカップ(トンヨン)
11/10   ワールドカップ(宮崎)

世界でメダルを獲れる選手になりたい。

トライアスロンはいつから始められたのでしょうか。

トライアスロンを始めたのは大学に入ってからです。もともと小さい頃から走ることが得意でした。運動神経に恵まれたというところはあるのかもしれません。陸上部ではありませんでしたが、マラソン大会では負けたくないという気持ちで走っていましたね。高校では競泳をやっていました。全国大会までいきましたが、大学で水泳を続けようとは思わず、サッカーをやりたいと思ったこともありました。
高校3年生の時に1度トライアスロンの記録会に出て、そこでジュニア強化指定選手になることができました。それまでトライアスロンをやっていなかったのですが、水泳の記録が引っ張ってくれたのだと思います。大学でトライアスロンをやるか迷っていましたが、当時のコーチから推薦の話をいただき、トライアスロンをやると決めて日体大に入学しました。

最近、アジアカップでの優勝など、目覚ましい成績を残されていますが、トライアスロンを始められてからまだ4年目なのですね。

2年生の学生選手権の後から練習量を増やし、そこから伸びてきました。水泳をやっていたのがかなり大きいですね。今は、水泳が終わった時点ではだいたいトップを走っていることができていますが、1年、2年の時には先頭集団にすら入ることができませんでした。海で泳いだことがなかったからです。ずっと競泳をやっていましたから、プールじゃないと早く泳ぐことができなかったからです。海で泳ぐことに慣れてきた3年生頃から、やっと記録が出るようになりました。
この後も韓国のアジアカップに出場しますが、今のところ手応えを感じています。

国内だけでなく海外のレースにも出場されています。何か違いはありますか。

海外は今年から回り始めました。海外は辛いと言う人もいますが、僕はあまり感じません。何でも食べることができますので(笑)。どこの国に行っても、量を減らさないでガツガツ食べられます。大変だと思ったことはあまりないですね。
レースの質に関しては、アジアだとあまり違いはありません。日本人はアジアにいったらけっこう強いほうなので、他が強いなとはあまり感じません。ただ、世界レベルだと、ランニングでも全然ついていけません。今年は、ワールドカップ1回とリレーにしか出ていませんが、どちらもランニングでやられてしまいました。リレーというのは、距離はスーパースプリントで、1人3種目、女子・男子の4人で1人20分くらいかかる競技です。ランは1マイルだけだったのですが、それでも速い選手とは20秒ほど開いてしまいました。全然勝てません。日本人はバイクまでは良いところまでいけると思うのですが、ランが難しいですね。

栄養補給はどうされていますか。粉飴の使い方についても聞かせてください。

栄養についてはあまり気にしていません。好きなものをお腹いっぱい食べています。今は一人暮らしをしているのですが、実家が埼玉の北本であまり遠くないので、親が1カ月に1回くらい食材を持ってきてくれています。ハンバーグを作って冷凍してくれたり、副菜も全部冷凍して持ってきてくれるので、あとはレンジでチンするだけです。冷凍庫が満タンになっています(笑)。
大学に入ってからの身体の変化もあまりありませんが、体脂肪だけは自然に落ちていきました。水泳をやっていた頃は脂肪率が13%くらいあったのが、今は7%くらいです。
補給食は、ショートということもあり、試合の時には使っている暇がありません。ですから、粉飴は練習で使っています。今までは、補給をしなかったために身体が動かなくなることもありました。暑かったり、疲労が溜まっていたりすると、やっぱり水分だけではエネルギーが足りなくなるんです。粉飴を使ってから、そういうことはなくなりました。カロリー計算は特にしていませんが、1日の練習が6時間くらいあるので、5000〜6000キロカロリーくらい使っているのではないでしょうか。練習中に集中が切れてしまうのが一番問題です。1回疲れ切るとだらけてしまいますから。
粉飴は、ジェルタイプの40グラムと20グラムの両方を使っています。バイクの練習中に2本、終わってからももう1本取ります。多いときでは4本くらいです。バイクが終わってランにいく合間には、必ず取るようにしています。友だちに「飲ませて」と言われて、あげることも多いですね。羊羹やゼリーなどは重いので、そのサイズで何本も持つことはできません。粉飴は軽いので、バイク中など特にほしいと言われます。

1日に6時間の練習とは、相当タフな練習ですね。

毎日ずっと練習をしている感じですね。1日オフがありますが、それ以外は毎日3種目に取り組んでいます。3種目ある分練習も大変です。だいたい午前中に2種目、午後に1種目で、学校があるときはその逆、午前1種目、午後2種目です。部活で2種目やるので、個人で1種目を自主練します。今年は、特にランニングに焦点を当ててやっています。
大学の施設は、プールも綺麗でとても整っています。さすが日体大です。ただ、バイクに乗るところがありません。全体でやるときは大井埠頭、尾根幹(南多摩尾根幹線)などの車が少ないところに行きますが、尾根幹は信号が多いんです。少人数で乗るときは多摩川サイクリングロードに行きますが、こっちは人が多めなのであまりスピードは出せません。荒川サイクリングロードが一番いいのですが、ちょっと遠いので、基本的には学校でローラーをしています。ランは、駒沢公園や砧公園が近いのでよく行きます。あとは多摩川の河川敷がずっと続いているので、ランニングするには良い環境です。

若い方のトライアスロン人口は増えていると感じますか。

トライアスロンをやる学生はけっこう多いと思います。関カレ(関東学生トライアスロン選手権)でも、いっきに300人くらいでスタートしています。ただ、その先続けられる環境があまりなく、強い人しか続けられない印象です。自分の世代にもけっこうトライアスロンに取り組む人は多いのですが、続けられるのは少ないと思います。社会人のチームも少なく、実業団も少ないので、限られた人しか入ることができません。そうなるとやはりだんだん競技人口が減っていってしまいますよね。経済的に少し余裕が出てきて、仕事も落ち着いてからという方が多いのだと思います。

現在の成績が続けば、世界も夢ではありませんね。

今、オリンピックディスタンスでは多くの選手の力が拮抗していますので、ケガをせず、このまま順調にいきたいですね。ただ、まだ世界のレベルで戦えていないので、上位に入るのは厳しい状況です。将来は世界でメダルを獲れるくらいになりたいと思っています。

北條さんの世界への挑戦を心より応援いたします。本日はありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
松本 充 様

2017年 Ironman Wold Championship 65-69 23位
2016年 Ironman World Championship 8time 完走
Ironman Taiwan 65-69 優勝
2014年 Ironman Malaysia 65-69 優勝
2011年 Ironman 70.3 Taiwan 60-64 優勝
2010年 Ironman 70.3 Asia Pacific Championship 60-64 3位
2009年 Ironman New Zealand 55-59 3位
2008年 Ironman Japan 55-59 優勝

世界のライバルと戦えるコナは、とにかく過酷さが違う。それでも惹きつけられるコナに、70歳でもう1回行きたい。

トライアスロンを始めたきっかけを教えていただけますか。

トライアスロンを始めたのは1995年頃です。もともと、ロードレースやマウンテンバイクなど自転車競技をやっていて、一時期Pearl Izumiやナビックスといったチームに所属していました。よく伊豆CSCで自転車の合宿をしていたのですが、いつからかそこにランニングやスイムが入ってきたんです。当時はデュアスロンが人気で、カナヤカップでは年間優勝するとBMWが貰えたような時代でした。
1996年の夏頃、沼津のトライアスロン3種目の駅伝にチームで出ました。スイムとバイクはガンガンいけたのですが、ランで逆にガンガン抜かれてしまいました。その秋には、NISSANカップという、ショートタイプで1.5・40・10キロの選手権に出ました。そこからどんどんやり始めることになります。

松本さんはアイアンマン最高峰「コナ」での豊富な経験をお持ちです。

アイアンマンはハワイ(コナ)に8回、その他も合わせると25回くらい出ています。2001年に五島列島で日本でのアイアンマンが再開し、その第1回目の大会にも出ました。2003年で初めてハワイに行きました。2004年は故障で出られませんでしたが、2005年からは5年続けて出ています。定年を迎えてからは少し休んで、2014年に再開しました。
2014年の久しぶりのアイアンマンではケアンズに行きました。結果は、ランで潰れて2位になってしまいました。そのままでは悔しいので、その年はマレーシアにも行きました。僕の年になるとチャンスは少ないので、勝たなければなりません。けっきょくマレーシアで勝つことができ、2015年のハワイの権利を獲りました。
ところが、今でも覚えていますがお盆の8月12日、バイク練習をしているときに交通事故に遭ってしまったのです。救急病院に担ぎ込まれ、100針以上縫う大手術になりました。ハワイは間近に迫っていましたが、その後移った病院の先生が、やるだけやろうと言ってくれました。それでなんとかコナに間に合ったんです。成績は14時間20数分でワーストでしたが、完走することができました。
2016年は友達と台湾に行き、そこで勝てたので、2017年には山内さんをはじめ友人たちと一緒にコナに行きました。

松本さんにとってコナの魅力はどういったものなのでしょうか。

コナには8回行っていますが、コナというのは麻薬のようなものかもしれません。たしかにすごくお金はかかります。エントリーフィーだけで10万以上で、クオリファイのレースもあります。ハワイのために年間で100万、アイアンマンだけで1000万以上は使っていると思います。
それでも惹きつける力があるんです。やっぱり楽しいんですよね。ハワイも楽しいし、クオリファイのレースで勝って成績が出れば嬉しい。だめだと落ち込みますが、すべて自分の責任です。
トライアスロンをしている人にとって、コナは昔から最後の目標です。だいたい同じようなメンバーで走っているので、世界の他の選手とも仲良くなります。日本だけではなく世界にもライバルがいる。そういう意味でも面白いですよね。
それに、アイアンマンのレースには、その先があります。日本人の中で戦って、次は世界で戦える、世界で何番かを決められる。それはやっぱりすごいことですよね。日本のレースとアイアンマンのクオリファイレースを比べたら、どうしてもアイアンマンのほうに出てしまいますね。

日本のレースとコナの違いは何だと思いますか。

一言で言うと、コナはとてもタフなんです。テクニカルではないんです。コナではコナウィンドという強烈な風が吹きます。電柱が倒れるくらいの強風になることもあり、時間が遅くなるほどきつく吹きます。プロの選手は早いからいいのですが、エイジで僕くらいの年になるともろにあびてしまいます。下り坂でも漕がないと進まないくらいです。あとは暑さです。平坦な道がほとんどなく、過酷さが全然違います。
ハワイでは、普通のレースより1時間から30分遅くなると言われています。それほどタフなんですね。だから、ドイツ人やオーストラリア人など、パワーのある外国人が強いですね。
また、ハワイに出るとメンタルが強くなります。クオリファイのレースでの競り合いに強くなります。諦めて歩いてしまう人もいますが、ハワイに行く人は最後まで諦めないし、気を抜きません。ハワイで完走したということが、メンタルを強くしてくれるのだと思います。

普段はどんな練習をされているのですか。

アイアンマンレースに出る場合、4ヵ月くらい前から練習を始めます。自分で決めているのは、1ヵ月でスイム30、バイク1000、ラン200です。スイム30は、1時間で3000泳いだとして30時間。バイク1000は、100キロを4時間で走ったとして250時間。ラン200は、10キロ1時間として200時間。そうすると週に18〜20時間、少なくとも15時間になります。
それを3〜4ヵ月続ければそれなりになりますから、体力と回復力がないとできませんし、その中でも力を取っておかないといけません。3週ハードにやったら1週イージーにする。年を取ってからは鍼灸のメンテナンスが欠かせません。そんな風に自分の身体とうまく付き合っていくようにしています。

粉飴はいつからお使いですか。

マルトデキストリン自体は、友人に教わって2008年頃から使っています。amazonでH+Bさんのマルトデキストリンを買って、自分でレモンを入れて飲んでいました。その前はハチミツを使っていたのですが、やはり気持ち悪くなるんですよね。甘さが嫌でランでは飲みたくありませんでした。
粉飴は最後まで飲めます。ほかの商品は口の中に甘さが残ってしまうのですが、粉飴は甘くないので飲みやすいですね。十何時間ずっと飲んでいるわけですから、とにかくあっさりしているのがいいんです。
粉飴ジェルにはクエン酸が入っているところも気に入っています。友達や先輩に教わって、ハチミツ時代からクエン酸は取っていました。僕はランのエイドにも梅干しを必ず置いています。梅干しもクエン酸ですよね。クエン酸を取ると、身体がすっきり、しゃきっとするんです。

アイアンマンでの栄養補給について教えてください。

レースでの使用カロリーは1万キロカロリーくらいのようですが、1万は無理なので、補給したとしても2000〜3000くらいです。ショートのレースではないので心拍もそんなに上がりませんし、脂肪を燃やしながら走る感じです。
胃に負担を掛けたくないので、レースのときには固形物はあまり取りません。ジェルが多くて、エイドに置いてあるオレンジやバナナを少し食べるくらいです。アイアンマンにはだいたいレッドブルがあるのでレッドブルも飲みますが、ランの20キロ過ぎまでは我慢します。バイクから取ってしまうと、ずっと取り続けないとならなくなってしまうからです。
去年のハワイでは、2000キロカロリーを粉飴で取りました。バイクでは、粉飴300グラムを溶かしてレモンを搾り、ジェルも7〜8本持っていきました。バイクで上がったときに2本くらい飲んで、全部で8本くらいですね。ランでは5キロに1回くらい取りました。
あとは塩です。今はスポーツ系の塩が売っているので、それを30分に1回取るようにしています。ジェルも30分に1回です。ほしいと思ったときに取るのではなく、30分に1回と決めています。そうしないと、ほしいと思ったときにはハンガーノックになっています。エイドがだいたい2キロに1回あるので、2回目のエイドでは粉飴と決めています。
補給も経験値なんでしょうね。初めての人や初心者は脱水で潰れてしまうこともあります。僕は塩と粉飴、それから口直しに梅干しで、最後まで脱水にもならず気持ち悪くもなりませんでした。アイアンマンには25回くらい出ていますが、脱水も低体温症も一度もなったことがありません。

練習のときの補給はどうされていますか。

練習のときにも粉飴を使っています。1回でバイク100〜150キロくらい乗りますが、粉飴4〜5本くらい取ります。あとはボトルに溶かして持っていくので、1000キロカロリーぐらいでしょうか。消費したカロリーの半分は取るようにしないと、回復が遅れてしまいます。それからアミノ酸、BCAAを取っています。練習後にはプロテインを飲んでいます。

今後の目標をお聞かせください。

70歳でもう1回コナに行きたいです。楽しみたいですね。稲田さんのように85歳までは無理ですが、少なくとも75歳くらいまでは頑張って現役を続けたいです。緩く長く、無理しないようにやろうと思っています。
昔はアイアンマンを年に4レースくらい出ていたのですが、今は年に1回かせいぜい2回です。自分の身体と相談しながら、粉飴に助けてもらって戦っていきたいと思います。

ますますのご活躍をお祈りしております。貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
渡部 晃太朗 様

2018年 11月10日 ワールドカップ宮崎大会(予定)
10月14日 全日本選手権(予定)
9月30日 アジアカップ村上大会(予定)
7月7日 アジアカップ高松大会(予定)
6月10日 アジアカップ大阪大会(予定)
2016年度, 2017年度 日本選手権 6位
2016年度 ユニバーシアード日本代表
関東選手権 優勝
2015年 アジアU23選手権 3位
全日本学生選手権 2位
全日本学生スプリント選手権 優勝
2014年 国民体育大会 4位

やるからには世界を見据えオリンピックを目指します。

トライアスロンを始めたきっかけをお聞かせください。

中学・高校時代は6年間水球をやっていました。大学でも何かやりたいと思っていたとき、水球部の同期に、トライアスロン部に入ろうと誘われたんです。おもしろいなと思ったのですが、走ったこともないですし、自転車もあまり乗ったことがありませんでした。水泳は大丈夫だったのですが(笑)。
大学入学後トライアスロン部に見学に行ってみたら、8歳くらい上の水球部の先輩がいらっしゃいました。そうした水球部の繋がりも一つあって、これは良い機会だと思い、トライアスロンに挑戦することにしました。何の知識も道具も無い状態だったのですが、部の貸し自転車を借りたり、先輩方から教えてもらったりしながらの、手探り状態からのスタートでした。健康志向でトライアスロンを始める方も多くいらっしゃいますが、私の場合はスポーツとして、やるならしっかりやりたいと思って始めました。

大学で始められてからこれまで、渡部さんのトライアスロン活動はどのようなものだったのでしょうか。

大学でトライアスロンを始めるまで、競技用の自転車に乗ったこともなかったのですが、始めて間もなく先輩方と近い状態で漕げるまでになりました。自転車に乗ること自体がもともと好きだったこともあり、水泳以上に得意になり、今では自転車が一番得意です。
大学3年で千葉の国体代表に選ばれたときに、「稲毛インターナショナルトライアスロンクラブ(稲毛インター)」監督の山根さんという方と知り合います。その方も明治大学の出身で、自転車部に所属してトライアスロンをやっていた方でした。そして大学の部活にはそのまま所属して、練習は基本的に稲毛インターでするようになりました。
すると、4年生の春からさらに成績が伸び始めました。やはり、練習の量が全然違います。自分では、大学でかなり練習しているつもりでしたが、その2倍くらいをやることになりましたから。
大学4年のときには、アジアU23選手権の代表に選ばれました。その初めての大会で3位、日本人では1位を獲ることができました。ここまでいけるとは思っていなかったので、正直、自分でもビックリしました。
4年生が終わるころ、稲毛インターで一緒に練習していた方からお声がけいただき、社会人になってからは、実業団に所属し競技を続けてきました。ただ、そこから競技成績は大きく上がっていません。自分の中でパフォーマンスは上がってきているし、競技成績も上がってはいるのですが、トップ5人くらいがなかなか抜けない状態です。

相当ハードな練習をこなされていると思いますが、現在はどのような練習をされていますか。

朝6000メートルほど泳いで、その後バイクを100キロ漕ぎ、その後15キロのランです。これよりさらに長いメニューの日もあります。週に1〜2日休みを入れていますが、ほぼ毎日やっています。
入ったばかりのころは、この練習にかなり衝撃を受けました。風邪をひいたり体調を崩したりして、身体が耐えられないほどでした。バイクが終わった後、ハンガーノックになってしまったこともあります。最後まで練習ができないんです。補給をしてもお腹がいっぱいになるばかりで、エネルギーに変えられずになかなか力が出せない。そんな難しい状況が続き、栄養補給ではいろいろと試行錯誤しました。
ハンガーノックを起こしてしまうと、そこまでの練習が意味なくなってしまいます。それは身をもって実感しました。次の日までダメージが響くので、けっきょく丸2日間だめにしてしまいます。
「スポーツ選手において1日練習しなかったら、3日しなかったと同じ」と言われますし、トップ選手の先輩から、「25歳までは何をやっても伸びるから、今できることを全部やっておけ」とも言われていますので、やれるだけやって、行き詰まったら次のことを考える。それくらいの気持ちでいこうと思っています。

それだけハードな練習だと、栄養補給も非常に重要になりますね。

心拍ベースで計算すると、長い日では6000キロカロリーくらいのエネルギーが必要になります。普通の人の3倍食べると思うと大変そうに感じますが、1升炊いても1日もたないような、よく食べる家で育ったこともあり、もともと私自身かなり食べるんです。そのため、カロリーが足りないということはあまりありません。練習中に食べられなくて、練習が最後までできないことはあっても、朝昼晩のごはんとしてはまったく問題なく取れています。
トライアスロンのような持久系のスポーツでは、食べる者が勝つ、食べられないと負けると思います。

普段の食事の中で、栄養に関して意識されていることはありますか。

大学4年のときに、軽い貧血になったことがありました。かなりご飯を食べるほうだったので、おかしいと思い、血液検査をしてみると、ヘモグロビンの値が低いと言われました。一般の方からしたら少し貧血かなという程度なのですが、走っても漕いでもパワーが出ませんし、最後までもちません。エネルギーが足りないわけではないのに、全然力が出せなくなってしまうんです。
それから、ただ量を取るのではなく、何を取るのか考えるようになりました。ミネラルを取ったり、3食のうちのどこかで、ほうれん草や小松菜などの鉄分が高い食品を必ず取ったり、鉄分入り牛乳を取ったり。そんな風に簡単なところから意識するようにしていたら、2ヵ月くらいで数字が戻りました。
脂質、タンパク質、炭水化物のバランスにも気をつけています。私は体重が重いほうなので、脂身の少ない肉を選ぶなどして、脂質はできるだけ多く取らないようにしています。炭水化物も、体重が増えすぎないよう抑えています。ただ、量を減らしすぎると次の日のエネルギーにならず、走れなくなってしまうので、そうならないギリギリのラインで抑えつつ、必要な量はぜったいに取らないといけません。その日の運動量によって、たくさん食べる、今日はちょっと抑えようなどと調整しています。タンパク質は、基本的に取れるだけ取るようにしています。おかずは基本的に多めで、栄養士さんのアドバイスで、緑色、黄色、お肉、魚をちゃんとチョイスしています。
そんな風に栄養素やバランスを考えるようになってから、体重を気にせず好きなだけ食べていたときに比べて、貧血も変に体調を崩すこともなくなりました。身体に必要な栄養素が取れているのだと思います。練習量・パターンに身体が慣れてきたこともあるのかもしれません。ここ最近はまったく身体の不調はありません。

粉飴はどのように使っていますか。また、粉飴の利点はどこだと思いますか。

粉飴ジェルは吸収が早いので、すぐにエネルギーに変えることができます。下手にお腹がいっぱいになることもありません。マルトデキストリンなので、吸収が早いのに血糖値がジワジワ上がってくる。そこがすごく良いんです。練習中も調子の上がり下がりを感じないですし、最初から良いパフォーマンスを出したまま最後までいけます。100キロ乗る中で、自分の取るタイミングもわかってきました。かなり重宝しています。
練習でもレースと同じ補給をするのが一番良いと思うので、粉飴は、レースよりも練習で多く使っています。レースでは、ショートでは補給をしない方もいて、私も1本、100〜200キロカロリー程度を取るくらいです。
他の会社のジェルやチョコレートバーなどは、カロリー的にはいいのですが、血糖値が急激に上がって急激に落ちてしまいます。コーラやチョコも、食べると血糖値が上がるので調子が良くなった感じがするのですが、そこから30分〜1時間くらい経つと急激に血糖値が下がり始めて、パフォーマンスも落ちてしまいます。

今年のレースはどのようなご予定ですか。

今年から、レースのやり方を変えようと思っています。今までは、シーズンの中で3月、4月、5月とレースを少しずつ増やしていき、レースに出ることで調子を上げていくようにしていました。普段、自分の拠点にいるときは練習をしっかりして、レースをポイント練習にしていました。でも、じわじわ調子を上げていっても、シーズンの中では上がっていくかもしれませんが、けっきょく年ごとに見たとき、ゆっくりとしかパフォーマンスが上がらないんです。レースが多いことで移動距離もかなり増え、移動時間ももったいないですし、強度が高いレースをしてしまうと、レースの後2日ほどリカバリーに充てないと、次までいけません。
今年は、自分が一番苦手なランに焦点を当てて、夏くらいまではランをしっかりやります。今までは年間15レースくらい入れていたのですが、今年は3月から9月くらいまではレースを減らして、9月、10月、11月でしっかりと目立った結果を出せるようにしたいですね。今年のターゲットは10月の日本選手権です。そこで間違いなく3位以内に入って、来年からは、どこにいっても日本人が1番を取れるようにしていきたいと思います。
去年、ワールドカップやアジアカップなどの海外の大会に出ましたが、思うような成績は残せませんでした。来年は、ワールドカップで1桁台の順位を取れるように頑張りたいと思っています。来年、高いレベルで、海外でしっかり戦うために、今年、地脚を作っておきたいと思います。

競技として、正面からトライアスロンに取り組んでいる渡部さん。オリンピックを目指してこれからも頑張ってください。本日はありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン
プロトライアスリート
一本松 静香 様

2018年 9/ 2 佐渡国際トライスロン大会(予定)
6/17 IRONMAN70.3 セントレア(予定)
4/22 全日本トライアスロン宮古島大会(予定)
2017年 IRONMAN世界選手権 年代別15位
IRONMAN70.3 世界選手権 DNF
木更津トライアスロン 女子総合1位
沼津千本浜トライアスロン(駅伝・エキシビション)
IRONMAN70.3 セントレア 年代別優勝
宮古島トライアスロン 女子総合3位
IRONMAN70.3 中国 年代別優勝
2016年 IRONMAN70.3 世界選手権 年代別6位
みやじま国際パワートライアスロン エリート3位
2016年 IRONMAN70.3 台湾 年代別優勝

すばらしい成績をおさめられています。トライアスロンを始められたきっかけを教えていただけますか。

幼いころから体を動かすことが大好きで、5歳くらいから水泳を習い始めて、小中高と打ち込みました。中学校時代には駅伝をやるほど、走るのも好きでした。自転車については、実家がある仙台と20km先の松島を友達とママチャリで往復して、浮いた電車賃で海鮮丼を食べて帰ってくるなど、遊んでいるうちに自然と鍛えられたようです。高3の受験時に水泳は燃え尽き一度やめましたが、月日が経つとまた泳ぎたいという気持ちに再びなり、そのときに思いついたのがトライアスロンでした。これなら私が好きな水泳も、自転車も、ランニングもできるから、やってみようと思ったのです。

趣味ではなく、プロのトライアスロン選手を目指されました。

トライアスロンを一生懸命やりたいと思った大学2年生のころは、時を同じくして始まったゼミの活動が忙しくてトライアスロンは思うようにできませんでした。4年生の就職活動の時期になるとゼミの活動が減り、それまで我慢していた反動でトライアスロンをやりたい気持ちが爆発したのです。そして、やり始めたら本当に楽しくて、4年生という就職活動を一番にやらなければならない時期に、トライアスロンを仕事にしようと決めました。親からは当然反対されました。親はちゃんとした仕事に就いて、お給料をもらう生活をしてほしかったのだと思います。それでもプロになりたかったので、そのころから本格的にトライアスロンをやり始めました。

プロになるステップを教えていただけますか。

プロになるには、認定記録会で級をとり、さらに強化指定のA・B・C・Dなどのカテゴリーでランクに入る必要があります。同じプロでも、オリンピック・ディスタンスとロングでは規定は違いますが、たとえばA~Cランクであれば、宮古島3位以内、佐渡優勝者などと決められています。実戦の結果と認定記録会の両方を合わせて、プロとして活動してよいかが決められます。
国内で行われるショートのレースにも、ほとんどのロングのレースにも、プロとアマチュア選手が混ざって出場します。しかし、アイアンマンだけはプロカテゴリーとエイジカテゴリーにしっかり分かれていて、プロ資格がない人は、エイジでの出場になります。おかげさまで、私は2017年の宮古島大会で、プロとしてできる結果を出すことができました。この冬にいくつか認定記録会に参加して、そこで級を取ることができれば、来年のアイアンマンはプロカテゴリーで出場可能になりそうです。アイアンマンには113キロのミドルと226キロのロングがあり、ミドルはこの冬の頑張り次第ではプロカテゴリーで戦っていけそうですが、ロングのほうはまだ力がありません。プロでロングを走っている方は少ないですが、プロでなくても速い人はたくさんいらっしゃるので、もっと頑張っていきたいですね。

普段の練習メニューを教えてください。

少し前まではやりたいトレーニングをやりたいだけやっていました。気分に任せてバイク200~300kmこぐ練習などをしていました。そうすると、翌日は疲れが残ってやる気が出なくなることもあり、今思えば、むらがあって効率が悪い練習でした。
今はサニーフィッシュというチームでパートナーアスリートという形で、サニー強化チームとして練習するようになり、トレーニング環境や内容を大幅に変えて、新たな気持ちで一から学び始めたところです。チームでは、週1回のポイント練習がいくつかあり、それに向けて個人で日々の練習をします。ポイント練習は、レースに向けた練習です。1週間の固定練習を決めて、同じメニューを繰り返して強くなっていくという練習方法に変わってから、自分の成長を自分自身でも感じるようになりました。
それから、ゆるめの練習の日ときつめの練習の日を設定しています。ゆるめの日は、体育館トレーニングと自分の動きの確認、筋トレなどが中心です。体の使い方やフォームを気にしながらランニングやウォーキングをして、その後にフォーム確認しながら水泳を何キロか泳ぐ程度の練習です。
きつめの日は、朝3時半に起床して4時から5時半まで自転車でプールに向かい、30分筋トレをしてから3時間泳ぎます。その後再び30分筋トレをし、1時間ジョグした後、1時間半かけて自転車で家に帰ります。午前4時から午後2時、3時までフルですね。しっかり練習した日は、体のメンテナンスもしっかり行います。疲労がたまった体をケアしないと翌日の練習に影響が出たり、怪我をしやすくなったりするからです。そうなれば、せっかく頑張ったことが意味のないものになってしまうので、お風呂に長くつかり、念入りにストレッチをして次の日に備えます。
ちなみに休養日は、栄養のとり方や、どの筋肉をどう使うとパフォーマンスが上がるかといったことを勉強しています。その知識を次の日のからのトレーニングに生かします。そんな環境に変わり、今までよりもトレーニング時間は短いのですが、充実感は増えています。

プロのトライアスリートとして、普段の食事や栄養のとり方で注意していること、工夫をしていることはありますか。

学生時代は栄養やバランスの知識もなく、できるだけお金をかけずにできるだけ多くカロリーを摂取するためにお米ばかり食べていました。朝からご飯を3合も食べることもありました。そんな私に栄養面で協力してくれたのは、篠原知美さんと実姉です。アスリートフードマイスターの資格をお持ちの篠原さんに、1年間ほどSNSを通じて毎日の食事内容を週1回のペースで指導してもらいました。ほかにも、疲労回復によい食べ合わせや、練習前に食べたほうがいいもの、食べないほうがいいものなど、体づくりに役立つ栄養の知識を教えていただきました。そのおかげで、胃に負担がない状態でトレーニングすると集中できることがわかり、トライアスリートにとって栄養や食事のとり方は、本当に大切だと感じました。
そして、調理は2年ほど前から同居している姉がしてくれます。姉は料理教室の先生をしていて、ありがたいことに、私が要望するものをつくってくれるのです。
朝のトレーニングのときは、お腹に負担のかからない粉飴ジェルを、家を出る前に3本飲み、プールまで自転車をこぎ、着いたらまた粉飴ジェルを1本飲みます。そうすると集中していい練習ができるようです。ハードな練習が終えて家に帰ると、姉がつくったご飯をしっかり食べます。昼はお米などの炭水化物も食べます。夜の食事はおかずだけにして、それを寝る3時間前には食べ終わるようにして、次の日に備えるようにしています。

トライアスロンではレース中の栄養補給が重要ですが、取り方も量も人それぞれですよね。一本松さんの場合は、どうされていますか。

レースのときは、粉飴などのジェルでほとんどの栄養を補給するようにしています。トライアスロンでは、お腹が空いてから栄養をとるのでは遅く、定期的にとるのがセオリーだといわれています。ですから、お腹が空いていなくても、粉飴ジェルを20分か30分に1回は飲むようにします。
アイアンマンでは約7000kcalも消費するといわれています。私がレース中に身につける栄養量は、バイクのときは2500kcal程度、ランのときは800~1000kcal、合計でおよそ3000~4000kcalです。ほかの皆さんと比較すると多いほうですね。
宮古島大会ではランのときにコッペパンに目がいってしまい、ジェルを飲みながらコッペパンを食べながら走りました。大会が終わってから、私が食べている写真がたくさん出てきて、食べすぎだという指摘をあちこちからいただきました。そんな経験から、固形物は今までの3分の1に減らすことにしました。ランのときも固形物をできるだけとらず、ジェルだけの補給に切り替える練習をして、省エネな体をつくっているところです。

最後に、一本松さんの今後の目標を教えてください。

練習やレースでは、辛くてやめたいと思うときもありますが、それを乗り越えると「快」といいますか、だんだん楽しくなってくるんです。楽しさと辛さを何回も乗り越えてゴールしたときの言葉で言い表せない達成感が病みつきになって、もっと上を目指したいと思っています。
現在の最終目標は、アイアンマンで世界一になることです。その夢に到達するためのベンチマークもあります。アイアンマン世界一の前段階の目標は、アイアンマンのトップ10に入ること。その一つ前の目標が、アイアンマンにプロとして世界選手権に出ること。そのまた一つ前の目標は、「アイアンマン70.3」、その半分の距離の世界選手権に出て順位を取ることです。さらに一つ前の目標は、日本人でトップになること。そのためには、宮古島大会と佐渡大会のミドルの両方で優勝、そして連覇を成し遂げたいです。アイアンマン世界一という大きな目標にむかって、ひとつひとつの目標をクリアしていくために、今はトレーニングに励んでいます。

素晴らしい目標ですね。成長著しい一本松さんの今後のご活躍を期待しています。

インタビュー:トライアスロン山内 昭夫 様

2017年 Ironman Korea 年代別1位(コナスロット獲得)
Ironman Hawaii 年代別47位
2016年 Ironman Malaysia 年代別2位(コナスロット獲得)
Ironman Cairns 年代別7位(コナスロット獲得)
2015年 Ironman Malaysia 年代別6位
Ironman Japan 年代別9位
2014年 Ironman Hawaii 年代別105位
2013年 Ironman Japan 年代別4位(コナスロット獲得)
Ironman Cairns 年代別5位
2012年 Ironman Sweden 年代別4位

トライアスロン歴が約30年とお聞きしましたが、どのようなきっかけでトライアスロンを始められたのですか。

山内:社会人になって2年目くらいに通った文京区にあるスポーツセンターのジムでトライアスロンをやっている人と知り合い、その人にやらないかと誘われたのがきっかけです。実は、それ以前に特にスポーツ経験もなく、25メートルも泳げなかったのですが、面白そうだと思って始めてみました。26歳の冬に練習を始めて、約半年後の1989年6月に第1回全日本選手権の一般エイジ部門で大会デビューしました。

半年後の大会デビューとはすごいですね。以前からスポーツをやられていたのですか。

山内:いえいえ。僕はトライアスロンを始めたとき、泳げなかったぐらいですから、ウェットスーツを着ていれば浮くとわかっているものの、海で1.5キロ泳ぐことがすごく怖くて、最初の大会では2週間くらい前から眠れませんでした。それに、当時は大勢の選手が一斉にスタートしていました。今でも前の晩は心配で眠れませんが、アイアンマンでは、時差スタート方式(ローリングスタート)である場合がほとんどで、スタート時に密集することが少なくなり、スイムが苦手な人はすごく楽になりましたよ。

2週間も眠れないほど心配だったトライアスロンをずっと続けられているのは、それにも増して終わったときの達成感でしょうか。

山内:そうですね。それはほかの選手たちもみな同じだと思います。練習も苦しくて、レースも苦しくて、もうやめようといつも思うのですが、ゴールすると不思議なことに、次はどこでやりたいとか、次はこうやったらうまくいくとか、そういうことを考えるんです。その繰り返しです。

コナの大会では、今回の大会の成績がこれまでで一番良かったとお聞きしました。

山内:皆さんに驚かれますが、成績が良いのは50歳過ぎてからです。トライアスロンを始めた29年前は、ただきついことをやったり量をこなしたり、という昔ながらの練習をしていました。最初はそれでよかったのですが、年を重ねるうちにだんだん頭打ちになって、40代の後半くらいからやる気がなくなり、成績も停滞しました。年齢とともに体力が落ちていくのだから、同じことをダラダラやっていたら記録も落ちます。49歳のときに「もう一度コナに出たい。やり直そう」と思い直し、インターネットで調べて、トレーニング方法を180度変えました。外国人選手がやっていたように、時間をかけず、効率的に結果が出るまでやる方法です。目標の大会を決めたら、どういうふうにトレーニングするか逆算し、結果が出るトレーニング計画を常に頭の中に入れてやります。トレーニングの見直しはできればもっと前のほうがいいですが、50歳過ぎてからでも遅くはないと思います。

普段の練習メニューを教えてください。

山内:季節にもよりますが、だいたい5時か5時半に起きて、朝食の前に1時間〜1時間半くらいをランと自転車の練習にあてています。20kmとか25kmの長い距離を走ろうと思うと、2時間くらいかかりますね。週に1回休みますが、それ以外は毎朝です。土日は朝練というより、そのまま長い距離を走ったり、自転車で遠いところまで行ったりします。自転車は週2〜3回ですね。スイムはほとんど練習していません(笑)。一生懸命やった時期もあったのですが、あまり結果が出なかったんです。その分バイクとランを頑張ろうかと。さすがに来シーズンはスイムも真面目にやろうと思っています。あとはコアトレ、体の動かし方に関するトレーニングなどを行っています。

粉飴は、いつごろ、どのようにお知りになりましたか。

山内:4〜5年前に僕の周りで、「これ、マルトデキストリン100%だから、スポーツで使っても全然問題ない」と誰かが見つけてきて、それから広まりました。以前はもう少し価格の高いほかのジェルを使っていましたが、粉飴は原材料が同じマルトデキストリンなのにずっと低価格なので切り替えました。それからずっと愛用しています。

粉飴のどういったところが気に入っていらっしゃいますか。

山内:粉飴はボトルの2/3くらい入れてもしっかり溶けて、自由にドリンクのカロリーを調整できる点がいいと思います。市販のカーボドリンクでは自転車のロングライドのときにカロリーが不足します。500mlの水で割って180kcal程度でしょうか。自分で高濃度にすることはできるのですが、おいしくて飲みやすい味にできません。
粉飴は甘さが優しく、自分の好きなように味付けできます。僕はクエン酸なしタイプより、クエン酸入りジェルのほうが合っているみたいです。基本的には何も味付けせず、そのまま飲むのが一番好きですが、味を付けるとしたらオレンジジュースですね。にがりを入れることもあります。家で味見するときとレース中に飲むときでは味の感じ方が違うので、ロングライドのときにいろいろな味を試しています。
また、ジェルは、50kcalと100kcalがあるので、カロリー計算しやすくていいですね。今年出場したアイアンマンでは、走り始めに4つポケットに入れて、最初はそれを飲みました。ひとつ要望を聞いていただけるとすれば、ジェルのパッケージのちぎり取った部分がゴミになるんです。特に自転車に乗っていて取ると、それがすごく気になってしまうので何とかなればいいなと思っています。ちぎってもここで繋がっていると自転車に乗りながら片手で開封できてすごくいいですね。

練習やレースでは、どのように栄養補給をされていますか。

山内:朝の練習の後には必ず、牛乳と粉飴とチョコレートをシェイクしたドリンクを飲みます。朝食までに少し栄養とカロリーを補給しておくのが目的です。
レースのとき、消費カロリーと摂取カロリーをち密に計算している方もいらっしゃいますが、私は大雑把に決めています。朝食で800~1000kcal、バイクの間に1500kcal程度、ランでは4kmに1回(主にジェルで)100~150kcalとります。6000~7000kcalの消費に対して、補給は約4000kcalと少し足りていませんが、その分は体内のグリコーゲンや脂肪で何とか乗り切ります。

トライアスロンの特にロングでは、栄養補給の失敗でレースがうまくいかなかったという体験談をよくお聞きします。補給がうまくいくコツはありますか。

山内:ロングでの補給はレースの勝敗の3割を占めると言われるほど重要ですが、個人差が大きく、セオリー通りにいかないのが常です。だからこそ自分だけの方法を見つけていかないといけないわけです。
以前はいつもバイクの途中で気持ち悪くなって吐いてしまっていました。それで、レースの状態に近い練習で、ドリンクに入れていた素材を一つひとつ外して試しました。その結果スポーツドリンクのパウダーが原因だとわかりました。そこで電解質のタブレットやパウダーを自分がいつも使っているものを持参して、それに置き変えてみたら、全然気持ち悪くならないんです。ほかの選手が愛用しているものが必ずしも自分に合うとは限らないので、こうして地道に研究するしかありません。
また、味の好みは気温によっても大きく変わります。寒いときと暑いときでは、味覚が全然違います。普段は飲めていたドリンクが、レースの日は暑い気候で温まってしまい、飲めなくなってしまったというケースがけっこうあります。粉飴に関しては、僕の場合はレースで使って最後まで全然問題なかったので、味は今のままでいいと思います。

トライアスロン初級者の方からアドバイスを求められるケースも多いかと思います。そんなとき、山内さんはどのようなアドバイスをされていますか。

山内:距離にもよりますが、ロングなら大体1200〜1500kcalを取り切れるくらいの配分で補給するようにアドバイスします。ペースは20分か30分に1回程度、1回の補給につき何回嚥下するかなどを決めて、こまめに摂ります。私は20分に1回、用意したボトルを全部飲みきれるようにしています。
自分に合った補給のペースと量をつかむまでは、前半に飲みすぎて気持ち悪くなったり、調子が良いからといって前半はあまり飲まず後半にハンガーノックになってしまったりということもあります。失敗と調節を繰り返して自分に合った補給内容や量を見つけてほしいと思います。

今後の目標をお聞かせください。

山内:とりあえず今後もコナに出ることが目標ですね。来年の参加は決まっています。参加費も滞在費も高いので経済的な負担は大きいですが、再来年もできれば出たいですね。

ハワイ・コナで開催されるアイアンマン世界選手権の魅力は何でしょうか。

山内:コナは世界各地のアイアンマンの予選を勝ち抜いた強豪が集まる世界最高峰の大会です。経験と体力と感動、そういったものが全部あって、別格の存在でしょう。アイアンマンが人気の理由は、決勝という世界大会があることだと思います。各地のアイアンマンの予選を完走するだけでも大変ですが、そこで良い成績を収めれば世界大会に進むことができます。世界レベルの大きな目標を持てる、上にいける、そこにいけばもっとすごい体験ができる、感動が味わえる、それが世界中の選手たちを魅了するのだと思います。

来年のコナも楽しみですね。山内さんのご活躍に注目しています。

インタビュー:トライアスロン久保埜一輝 様

2018年
(予定)
アイアンマンハワイ
佐渡国際トライアスロン大会 Bタイプ
ハスカップトライアスロン
アイアンマンケアンズ
恵庭クロスカントリースキー大会 30㎞の部
初旬の札幌国際スキーマラソン 50㎞の部
2017年 ハスカップトライアスロン 総合優勝
佐渡国際トライアスロン大会 Aタイプ 総合優勝
2016年 ハスカップトライアスロン 総合優勝
大雪山忠別湖トライアスロン 総合優勝
2015年 アイアンマン・ジャパン総合15位 25-29歳 優勝
2013年 ハスカップトライアスロン 総合優勝
大雪山忠別湖トライアスロン 総合優勝
アイアンマン・ジャパン 総合6位 日本人2位 18-25歳 優勝
2008年 アジアジュニアトライアスロン選手権 中国広州大会 8位
2009年から2011年まで競技から離れる。
2007年 アジアジュニアトライアスロン選手権 トンヨン大会 11位
2006年 アジアジュニアトライアスロン選手権 チャユグアン大会 10位
2005年 日本ジュニアトライアスロン選手権 長良川大会 ジュニアA(中学の部)優勝
オールキッズトライアスロン大会in昭和記念公園 中学生の部 総合優勝

久保埜さんは26歳にして、トライアスロン歴約20年とうかがいました。どんなきっかけで始められたのでしょうか

僕は北海道で生まれ、父親がプロ・トライアスリートという家庭で育ちました。父は、今は山梨に拠点がある「チームケンズ」の第1期生で、アイアンマンをメインにやっていた選手でした。そんな父の影響もあって、僕は3歳から水泳の練習を始めて、初めてのトライアスロンの大会に出たのは約20年前の小1(6歳)でした。当時は、トライアスロンは今ほどメジャーなスポーツではなかったので、友だちに「トライアスロンをやってる」と言ったら、「トライアスロンて何?」っていつも聞き返されていました。今では練習環境がある程度整ってきていますけど、そのころは練習方法も練習環境も手探りで、父親だけを頼りにやっていました。

小学生のときに、全国チャンピオンになられました。

トライアスロンの全国大会で初めて優勝したのは小6のときです。立川市の昭和記念公園で行われた「オールキッズトライアスロン」というジュニアの全国大会でした。それを機に、成績を出すのが楽しくなって、中学生のときはトライアスロンにどっぷりはまり、全国優勝もしました。
しかし、高校の3年間は伸び悩んだ時期でした。どんどん練習が嫌になって、ついに高校3年生の後半にトライアスロンをやめてしまいました。そして、トライアスロンのスポーツ推薦で進学が決まっていた都内の大学を蹴って、北海道にある消防士や救急救命士の資格をとれる3年制の専門学校に通いました。その3年間はトライアスロンに一切関わることなく、勉強に専念しました。

そして、またトライアスロンの世界に戻ってこられましたね。

専門学校を卒業するタイミングを機に、趣味としてトライアスロンをまた始めました。そうしたら、身体が覚えていたのか、思っていたより良い成績を出すことができ、もう1回ちゃんと練習しようという気持ちになりました。
本格的に復帰した一番のきっかけは、2013年のアイアンマン・ジャパン洞爺湖です。父親がずっとやってきたことでもあり、いつかは挑戦したいと思っていたアイアンマンが、日本に来る。しかも地元の北海道にくるわけですから、本気で取り組みたいと思いました。そして、練習に復帰して2年ほどで出場したアイアンマン洞爺湖は総合6位、18-24歳でエイジ優勝でした。プロや国内トップ選手に混ざって6位に入ったので周りはびっくりしていた感じでした。

今はどれくらいの間隔でレースに出ていらっしゃるんですか。

今は仕事の関係もあって、ロングは1年に1レースか2レースです。その間にオリンピック・ディスタンスの大会に出るという感じでしょうか。本当はもっとレースに出たいんですが、レースの数を増やしてそれぞれのレースのパフォーマンスが落ちるのが心配なんです。

栄養補給について教えていただけますか。

子どものときは、補給食といえばエナジーバーしかなかったので、父親はずっと愛用していました。その影響で僕も小さなころからエナジーバーばかり食べていて、栄養補給=エナジーバーだと刷り込まれてしまいました。
ショートは補給なしでもいけますが、ロングでは補給が欠かせません。バイクのパートはジェルがメインで、エナジーバーを併用してとり、ランでの補給は固形物はやめてジェルのみでしたね。僕は後半になるにつれてカフェイン入りのジェルをとるようにしています。後半になると眠くなるという話もよく聞きますが、僕は眠くなるというより少し力が入らなくなる感覚やだるさを感じるので、カフェイン入りのジェルをとります。

選手の中には、成分やカロリーを綿密に計算されて準備する方も多くいらっしゃいますが、久保埜さんはいかがですか。

レース前には、1時間に60g程度の炭水化物で240kcalをとれるように計算してジェルを用意します。あとは、補助的にドリンクで栄養をとるという感じです。レースの強度が高いと、それ以上とることもあります。
レースと同じ強度で5時間も練習するのは難しく、練習の補給内容と量をそのままレースに適用することはできませんから、レース中に自分が何をどれくらいとったらいいのかは今も模索中です。
栄養補給がうまくいかないとハンガーノックになることがありますが、ロングのレースだと逆に補給しすぎて気持ち悪くなることがあります。特に暑い気候では、とりすぎると内臓に疲労がたまって、パフォーマンスが落ちます。栄養補給は本当に難しいと毎回思い知らされます。
今回、粉飴を使った今年の佐渡では、栄養補給がばっちりでした。それも優勝できた要因の1つだと思います。

久保埜さんが粉飴を知ったきっかけや活用方法を教えてください。

去年、ショートの大会で何回か優勝し、粉飴をいただく機会がありました。そのときは、まったく粉飴のことを知らず「何だこれ?」と思いました。ミネラルも入っていないし、よくわからないからずっと家の棚にしまっていましたが、今年のシーズン初めくらいに、北海道の春先ならそんなに汗もかかないから、ミネラルが入っていなくても大丈夫だし、捨てるのももったいないと思い、練習で使ってみることにしました。そうしたら、携行する補給食の量がだんだん減っていったんです。もしかしたら粉飴はエネルギーの吸収率が良かったり、腹持ちがいいのかもしれないと考えました。それで、粉飴を使っていると聞いていた篠原さんのブログや投稿を読んだり、マルトデキストリンのことを調べたりしてみると、自分の体で感じていたものは錯覚じゃなくて、本当にそういう効果があるものだということがわかりました。また、自分の好みに合わせてミネラルを追加したり、味をアレンジしたりできることが紹介されていました。レースに近い状態の練習でも粉飴は意外といけることがわかったので、今年の佐渡のレースでも、メインの補給食として粉飴を使いました。佐渡は暑いので、汗をかくことを予想して粉飴にミネラルを加えて、オリジナルドリンクをつくって臨みました。

これからトライアスロンを始めようという方たちに何かお伝えしたいことはありますか。

トライアスロンが広まってきているとはいえ、一般的には過酷なスポーツ、コストがかかるというイメージがあるようで、始めるまでのハードルが高いようです。でも、実際にやってみるとそうでもありませんし、道具もそれ程こだわらなければ、そんなにお金はかかりません。
トライアスロンといえばアイアンマンのイメージが強いようですが、短い距離もあることを知っていただきたいですね。たとえば、オリンピック・ディスタンス(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)、その半分のスプリント・ディスタンス(スイム0.75km、バイク20km、ラン5km)、さらにその半分の距離のレースもあります。
あまり気負わずに短い距離のレースから始めて、自分の体力と相談しながら徐々に長い距離に挑戦していくのがよいのではないでしょうか。また、初心者向けの大会だとスイムは海ではなくプールを使うことがありますし、安全面も考慮されています。
今はプロやアマチュアのたくさんのトライアスリートたちがSNSを使っていろいろな情報を発信しています。少し調べてみると、トライアスロンは思ったほどハードルが高くないことがわかると思います。選手である僕らも、そういうことをもっと世間に広めていかないといけないですね。

今後の目標を教えてください。

最終目標は、ハワイのアイアンマン世界選手権の年代別で表彰台に上がることです。もう1つは、父親がその大会で持っている9時間30何分という記録を抜くことです。近い目標では、来年の佐渡国際トライアスロン大会Aタイプで2連覇することです。

素晴らしい目標ですね。今後のご活躍も期待しています。ありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン岩崎 るみ子 様

インタビュアー:安田光司様

2017年 大阪マラソン(予定)
ラブトライアスロン 女子2位
五島長崎国際トライアスロン 女子総合5位
ITUロングディスタンストライアスロン世界選手権 エイジ29位
2016 五島長崎国際トライアスロン エイジ4位
2016 サンライズ磐田トライアスロン 女子5位

安田:トライアスロンを始める前にスポーツ経験はありましたか。

岩崎:いいえ、全然。中学は家庭科部、高校は放送部で、もともと運動はあまり好きではありませんでした。30歳くらいのときに、健康やダイエットのためにジョギングを始めてみたのが、今思えばスタートだったと思います。当時は、ペースも距離も測らなくて、走って汗かいて体重が減って「やったー!」みたいな感じでした。
それが、ジョギングを始めて2年後くらいにハーフマラソン、そこからさらに2〜3年後にフルマラソンのレースに出られるようになりました。そして今の主人と出会い、私は主人から水泳を、私は彼にマラソンを教え、2人で自転車を買ってロングライドを楽しんだりして、少しトライアスロンに近づいた気がしました。

安田:出産や子育てをしながら、トライアスロンまでたどり着く道のりはどのようなものだったのでしょうか。

岩崎:一度は近づいたトライアスロンも、出産と育児によって遠のきました。結婚しても仕事がいきがいだった私の生活が、子どもが生まれたことによってまったく変わってしまったんです。仕事に注いでいた情熱やパワーが行き場を失い、そのもやもやを発散するためにマラソンを再開することにしました。
マラソン再開後の初レースは、第1回大阪マラソン(2011年)でした。当選確率5.5倍の狭き門をくぐり抜けたチャンスを無駄にするまいと、いろいろと勉強してこつこつと練習したら、初めて4時間を切るタイムが出たんです。ここから私のアスリート人生が始まりました。のめりこむ性格なので、そこから走りに走って鍛えました。1カ月で300㎞走るなんて当たり前でした。そんなことをしていたら当然、故障しますよね。故障してもじっとしていられなくて、「走れないなら自転車だ!」と、もはや家のインテリアになっていたバイクをローラー台に乗せてバイクのトレーニングを始めたんです。マラソンで基礎体力がついていたので、バイクはすぐにすーっと乗れて、ヒルクライムなどの自転車レースに参加するようになりました。それから、やっとトライアスロンをやってみましょうか、となったわけです。

安田:トライアスロンのデビュー戦は、スプリントの大会だったんですよね。

岩崎:そうです。大阪の「コスミックレディース&ビギナートライアスロンinせんなん里海」というスイムは浅瀬の海、バイクは公園の中を何周か、ランも公園の中を走る、初心者と女性しか出られない大会があるんです。そのデビュー戦で1時間半を切るタイムでゴールできて、次はのショートの大会に出ました。その頃は、ロングなんて考えられない世界だと思っていたのですが、友達にうまく巻き込まれて半年後にはロングの宮古島大会に申し込んでいました。私は練習を積んでからいつかレースに出ようというタイプではなく、性格的に、先にレースに出ることが決まって、それに向けて練習を頑張るタイプ。宮古島大会も申し込んだら当たったので、本気で取り組みましたよ。

安田:初のロングが宮古島ですか。ロングの大会は、ショートの大会と比較して、体力も大事ですが、栄養補給もポイントになりますよね。

岩崎:ロングでは補給が大事という話は聞いていたので、予定消費カロリーの半分はジェルで補って、あとは脂肪燃焼で乗り切る作戦にしました。練習のときから私には固形物での補給は向かないことがわかっていたので、ゼリーをボトルに入れてちびちびと補給したんです。全部ジェルにしたら飽きて飲みたくなくなって、バイクの途中からはひたすらつらくてしんどかったです。そうしたらやっぱりハンガーノックになって、バイクは制限時間4分前にゴール、ランのフィニッシュも制限時間15分前になんとかゴールという結果でした。ロングの1回目が思うような結果にならなかったのは、練習不足よりも補給の失敗が大きかったと思います。

安田:ロングのデビュー戦以降は、粉飴で補給がメインと聞きましたが。

岩崎:宮古島大会にリベンジしようと思ったら翌年は落選して、2014年五島大会(バラモン)が2回目のロングになりました。五島大会といえばアップダウンが激しいコースで有名なので、大会に向けてしっかり練習を積もうという意識がありました。ところが、練習をしすぎたのか、レースの1カ月半前に突然ぜんそくを発症して入院することになってしまったのです。トライアスロンやマラソンを頑張りすぎると、運動誘発性のぜんそくを発症することがあるんだそうです。
そういう状態でしたから、その年のバラモンは翌年のための下見のつもりで、完走できなくても仕方がないと思って臨みました。幸いにも初めてのバラモンを思った以上のタイムで完走できたんです。ロングデビューの宮古島よりはマシでしたが、粉飴ドリンクがメインの今回も補給はうまくいきませんでした。胃があまり丈夫ではない私は、一気に糖分をとりすぎると血糖値が激しく上下して体調が悪くなり、その後は全然とれなくなってしまうんです。それで、バイクでは全部補給できたのですが、ランでは粉飴ドリンクも飲めず、本来の力が出せませんでした。

安田:2回目のバラモンでは補給の仕方を変えてみたんですね。

岩崎:2回目のバラモンは、事前にいろいろと試したうえで粉飴と果糖を半分ずつにしてみましたが、それでも甘すぎて飲めなかったんです。しっかり計算して、粉飴、クエン酸、ココナッツオイルを混ぜたオリジナルドリンクもつくって完璧だと思ったのですが、塩を入れ忘れて低ナトリウム血症の落とし穴にはまりました。ランの途中で体が動かなくなって、なんとか完走できたという悔しい大会でしたね。バラモンで完走できないかもしれない失敗を経験して、補給を絶対にないがしろにしてはいけないとそのときに心に決めました。

安田:岩崎さんは、誰よりも研究熱心ですよね。補給の研究については、どのような試行錯誤がありましたか。

岩崎:私は自分の体力に限界があることをわかっています。さらに、家庭もあって子供もいますから、練習量や練習の運動強度を上げたりすることもなかなかできません。ほかのアスリートと同じことをしていたら、毎週ヘロヘロになって育児も家事もできなくなって、トライアスロンを続けられなくなりますから。そうなると、研究するべきことは徹底的に研究して、限られた時間の中で弱点を埋めていくしかないと決意したのです。
栄養に関する情報を集めているうちに、糖は取りすぎてはいけないこともわかりました。自分の体に合った栄養補給の量やペースを見つけるために、血糖値の計測器を買って測定しながら練習しました。ロングライドの練習では、計算して決めた粉飴の量を、何分に1回飲んで、血糖値の上下動を30分や1時間ごとに計測することを何度も繰り返しました。さらに、運動し始めてから補給を始めるまでの時間はどれくらいがいいのか、粉飴の前にブドウ糖を舐めたらどうなるか、など自分の体を使った実験を10回くらい重ねたんです。計算上の正解が私の体に合うとは限らないし、感覚的にはいい感じでもデータの数値は悪いこともあります。30分ごとにバイクを止めて計測するのは面倒な作業でしたが、その手間を惜しまなかったおかげで、自分に合った補給の量とタイミングを見つけられ、3回目のバラモンは自信を持って挑戦することができました。

安田:3回目のバラモンの補給とレースはどのようなものでしたか。

岩崎:事前に完璧にシミュレーションしていても、当日の天候・気温、体調や発汗量によって微妙なズレは必ず生じるものです。そういうこともきちんと考慮して、1時間に摂取する粉飴の量を30gと決め、少しのクエン酸と経口補水液用粉末と一緒に自分に合った濃度でボトルに溶かし、それを30分に1回にしました。普段の練習で使っていたものとまったく同じ調合です。あとは、血糖値を補助するブドウ糖のタブレット、脂肪燃焼スイッチを入れるための個包装ココナッツオイルを2時間に1回とりました。練習のときに計測し続けた血糖値データに基づいて細かく設定した摂取量とタイミングを、そのとおりに実行したのが3回目のバラモンでした。今回の補給は100点満点、大成功でしたね。補給がうまくいったおかげで、バイクの1周目はゆっくり走っていっぱい抜かれましたけど、2周目は明らかにハンガーノックで止まっている人たちを気持ちよくガンガン抜いて巻き返すことができたんです。
私はトレーニング量も強度もたいしたことないけど、トレーニングしている時間以外で体を強くすることをたくさんしてきたので、そこでは負けないぞと思ってレースに臨んでいます。トレーニングで培った体力を完璧に出し切るためには、正しい栄養補給が欠かせないことを、身をもって感じた大会でした。

安田:粉飴をどうやってお知りになったんですか。また、粉飴のおすすめポイントも教えてください。

岩崎:粉飴との出会いはトライアスロンを始めて2年目くらいですね。最初はうわさに聞いて「マルトデキストリン」で検索したら、思いのほか値段が高だったんです。安いマルトデキストリンで粉飴っていうのがあるらしいという情報を入手して、Amazonで検索したら「これは、めっちゃ安い!」と速攻で買いました。あまりの安さに怪しい偽物じゃないかと思ったくらいでした。この値段の安さは、とても大切なポイントです。粉飴に出会う前は、便利なスポーツエナジージェルをレースのときだけ利用していました。毎日の練習のときも全部ジェルにしたら、お金がかかりすぎますから。でも、本番と同じものを練習でも使わないと、本番で補給のタイミングや量がわからなくなります。毎週やっているロングの練習でも本番のレースでも使える補給には、値段が安くて、飽きのこない味というのが絶対条件です。その点、粉飴は値段が安いし、甘すぎないのでいろいろな飲み物に混ぜても味を邪魔しないし、どんなドリンクに混ぜても合います。それがよかったんです。

安田:トライアスリート界における岩崎さんの存在感がとても大きいのは、選手としての素晴らしさに加えて、ブログでの情報発信力のすごさによるものではないでしょうか。

岩崎:ありがとうございます。ブログは基本的に1日3回更新しています。朝の練習日記、夕方の練習日記、その間に練習日記とは関係のない記事を書くことにしています。実験してわかったことなどですかね。さらに週報も自分のトレーニング記録として出しています。自分のためのトレーニング記録や研究をただブログで書いているという感覚です。人の目に触れると思うと、読む人が理解できるようにまとめるし、みんなが知りたいことを研究して、どんどん調べ足していくので、何よりも自分にとって素晴らしいコンテンツになるんです。ですから、ブログは自分の研究成果をまとめた戸棚の役割を果たしてくれています。私はバラモンの練習に入る前に、ブログで前年の練習記録をざっと見るんです。そうすると、課題や改善点が見えてくるので、ブログには方向修正ツールという役割もありますね。
ブックマークして毎日ブログを見に来てくれる方や、トライアスロンやマラソンのブログが好きな方、ランキングサイトから来てくれる方など、たくさんの方がブログやSNSに訪問してくれています。ブログのおかげもあって、たくさんの人から「おかん、おかん」って言ってもらえて、私もうれしいし、気分がいいです。ただ、あくまでも個人的な記録として書いているものですし、私は運動生理学や栄養学をちゃんと勉強しているわけではありませんので、ご参考程度に活用頂ければなと思います。

安田:これからのご活躍、全国のトライアスリートのための情報発信を期待しています。本日はありがとうございました。

インタビュー:トライアスロン高倉 豪 様

トライアスリート。元ITマネージャーでWatershed Scientist。現在(株)ウイッツコミュニティ ウィル事業部チームリーダー兼相模原市環境情報センター所長
2005年度より「輪千レーシング」で自転車実業団登録、現在E2。JCRC Sクラス。
Triathlonは「Monster Triathlon Club」所属

2017年 Ironman Mont Tremblant
2015年 ITU Long Distance Triathlon World Championship 完走
2015年 Ironman Japan 年代別3位(総合42位)
2015年 Ironman World Championship完走
2013年 佐渡国際トライアスロンAタイプ(総合21位)
2010年 Ironman Langkawi (総合30位)
2005年 Xterra World Championship完走
2004年 キングオブ王滝(3位)

現在も本格的なトレーニングを続けていらっしゃいますが、トライアスロンはいつごろからされているのですか。

私がトライアスロンを始めたのは学生のころで、今から27年前です。まだ、メジャーなスポーツではなく、トライアスロンという競技は知っていて、ときどき雑誌を購入するという感じでした。そんなときに、第1回トライアスロン大学選手権が行われることを知って、じゃあやってみようかな、と。夏休みに市民プールで監視員のアルバイトをして、そのお金でバイクやスーツなど用具一式を買いました。最初のレースとなった第1回大学選手権は、競技人口が少なかったので誰でも出られて、いきなり本戦でした。私は最後から数えて10番に入るような結果だったんです。第2回は東日本と西日本に分けて予選が行われ、予選は通りましたが、本戦に行ったらまたビリから10番目くらいでした。大学時代はこんな感じで、上位に入ることはありませんでしたね。その後、アメリカのコロラドにある大学院に留学し、比較的時間に余裕があった1年目は留学先で少し練習したり、ローカルの大会に参加したりしていました。さすがに2年目や3年目は勉強が忙しくてトライアスロンから離れていました。日本に帰国して就職してからは、さらに忙しくて大会どころか日々のトレーニングをする時間もとれませんでした。30歳で転職して少し時間ができたので、久しぶりにトレーニングを再開したら、5km走るのに45分もかかったんです。体力に自信があった学生時代と比較して、体力低下ぶりには自分でも驚きました。

まだトライアスロンがメジャーなスポーツではない時期は、どのように練習されていたんですか。

まわりにトライアスロンをしている人いなかったので、ハワイを6回優勝しているデイブ・スコットという有名選手が書いたトライアスロン本の翻訳版を読んで独学し、監視員の休憩中にスイムが上手な人に教えてもらったり、隣のグラウンドで走ったりして、ひとりで練習しました。その後は、英語の勉強を兼ねて定期購読したアメリカのトライアスロン雑誌が練習に役立ちました。日本の雑誌は、練習について書かれた記事が少ないんですけど、アメリカのトライアスロン雑誌は、練習の記事が豊富だったんです。わかるところをピックアップして、見よう見まねで練習していましたね。そのおかげで、ハートレート・モニターを使ったトレーニングは早くからやっていましたし、アメリカの3種目のバランスを重視する考え方に影響を受けました。

トライアスロンの魅力を教えてください。

トライアスロンは、競技時間が10時間くらいあります。周到に準備して臨んでもうまくいかないときもあるし、レース中にもいいときと悪いときの波があるんです。例えば、バイクのときは調子悪いと感じていても、ランは足が動くこともあります。ランの前半はいまいちでも、最後まで粘れることもあります。ぼくはバイクで飛ばしすぎて、走れなくなる時がありますが、それでもランは4時間以内におさめています。マラソン単体のベストタイムは3時間15分と、特別すごい記録ではないんです。ランだけだとサブスリー(市民ランナーで3時間を切る人)の人には負けると思いますが、トライアスロンでは私は3時間半から4時間で42.195kmをまとめられるので、最終的には早くゴールできるんだと思います。ラン単体、スイム単体、バイク単体で速い人はたくさんいますが、3つの競技の総合力を競うというのがトライアスロンの魅力ですよね。

経歴を拝見すると、トライアスロンだけに専念していたわけではないんですね。

30歳でトレーニングを再開したとき、ロングの大会に出たいと思い、5年後にコナの大会(アイアンマン世界選手権)に出ることを目標にし、それに向けた5ヵ年計画を立てました。1年目の目標は、ハーフのトライアスロン大会に出られる程度の体力とスピードをつけること。2年目の目標は、ハーフの距離で小さめの大会で上位に入ること。3年目の目標は、小さな大会でトップを狙うこと。4年目にアイアンマンに出て完走して、5年目にどこかの予選で入賞してアイアンマンの参加権利であるスロットを獲得してアイアンマンに出るという計画です。4年目に腕試しでアイアンマン・マレーシアに挑戦しました。スイムで飲んだ海水と、バイクのエイドで飲んだ水にあたって、体調を崩し結果は散々でした。同じように暑い気候条件でこの状態では、アイアンマンに出るのは夢のまた夢と感じた大会でした。5ヵ年計画に軌道修正が必要だと痛感し、2005年はアイアンマンより世界選手権を狙いやすいエクステラ(オフロード版トライアスロンでスイム、マウンテンバイク、トレイルランの3種目)の日本予選に出場しました。そこで年代別上位に入ると、アイアンマンの2週間後に同じハワイ島で行われるエクステラの世界選手権に出られるんです。おかげさまで、そこでエクステラの世界選手権に出ることができました。マウンテンバイクのパートは、猛スピードが出る下り坂や道端のサボテンなど怖かったですね。でも、ランは山を走り、ビーチを走り、ゴルフ場の中を走り、最高のロケーションでした。それが2005年で、アイアンマンに出たのは2015年ですから、実際にはそこからまだ10年かかりました。

トライアスロンという過酷な競技を長年楽しむこつのようなものはありますか。

ほかのトライアスリートの方たちは、1年間に2、3回ロングの大会に出て、合間に短いのも出て、年間5−6本のレースに出る方も多いです。私の場合は、1年に1~2回の大会しか出ません。周りの人たちに話を聞いても、トライアスロンを始めて2、3年目までは、体力もつくし、ぐんぐん成績も伸びるので、楽しくてのめりこんでいくみたいなんです。でも、やりすぎるとけがをしたり、体への負担がかかりすぎるうえに、精神的にも疲れてしまいます。これはトライアスロンに限らず、自転車のロードレースなどでも、精神的・肉体的に疲弊して、始めて5年くらいで辞めちゃう人って結構いるんですよね。そういう人たちをたくさん見てきたので、私は1年に1レースか2レースと決めています。3週間みっちり練習したら1週間休むという練習方法がありますが、私はもっと長いスパンで考えていて、3年頑張ったら1年はレースを休むという感じです。あるレースに出てうまくいかなかったから、半年後のレースに再挑戦、といったことはしません。練習してトレーニングすることはもちろん重要ですが、やりすぎないということも同様に重要だと思います。

高倉さんの栄養補給について教えてください。

一般的に言われている栄養補給の量を私がとるとお腹を壊すことがたびたびあり、補給の量を少しずつ減らしながらもパフォーマンスを下げない方法を2013年くらいから模索してきました。どの程度少ない量まで減らせるか実践のレースで試しました。それでも途中でハンガーノックになることもなく、自分の適量の把握に手ごたえを感じました。準備からレース中のコンディションまで、うまくはまったレースでしたね。レース中も冷静に頭が働きましたし、集中できました。途中で何カ所かある折り返し地点で前との差や後ろとの差もわかったのも力がわきました。
また、いつもはレースの後は完全休養期間を設けていますが、そのときはレース後から練習を再開したり、事前にレースのコースを下見したりアイアンマン・ジャパンに備えることができました。

補給量を抑えぎみにしたというお話がありましたが、栄養補給には個人差があるんでしょうか。

ありますね。しかも、個人差には、吸収できる個人差と消費する個人差の2種類あります。同じ運動をしていてもハートレートを低く抑えられれば、消費するカロリーを少なくできるわけです。ハートレートが85%のときと、70%のときでは、消費カロリーが全然違います。一般的には、ハートレートが高いと、あまり脂質を使わないで糖質やグリコーゲンがメインで消費していきます。しかし、ハートレートを低く抑えて走り、そういうトレーニングをしていれば、脂肪をエネルギーとして使う割合を高くすることができます。特にロングの場合、私はできるだけ脂肪を消費する走り方を心がけています。また、練習でもハートレートをある一定以上あげないことによって、できるだけ早く脂肪を燃焼させるモードに移行させるトレーニングをしています。スピードを上げるときもむやみに上げるのではなく、ある一定のハートレートを超えない範囲でスピードアップします。これを続けていると、低いハートレートのままスピードがついてくるんです。
4時間程度かけて100㎞のバイクライドをするとします。普通は3000~4000kcalくらい消費するので、かなりの糖質を持参すると思うのですが、ぼくの場合は朝ご飯を食べていれば、水の補給だけでいけますね。ただ、栄養補給をしないと疲労のリカバリーが遅れるので、1時間に100kcalくらいの補給はするようにしています。先月は2回ほどバイクで山中湖-東京間の往復(約120km)という練習をしました。アイアンマンのレースと同じくらいの出力(FTP70%)でだいたい4時間半くらいかかりましたが、その間に摂取したのは700kcalでした。それでもぼくの体には問題ありません。
レースのときは、バイクの後のランのことも考えてもう少しとりますが、ほかの選手と比べるとぼくが摂取するカロリーは圧倒的に少ないと思います。

栄養の吸収のほうは、いかがでしょうか。

吸収するほうは、単純に胃腸が強いか弱いかというのもありますが、一般的に1時間にとれるMaxは300k〜400kcalと言われています。1時間の摂取量が400kcalだとして5時間バイクに乗ると、2000kcalですよね。雑誌や本にも、それくらい摂ったほうがいいと書いてあります。もちろん摂れる人もいますが、私は経験からしてそんなにとると体調を崩すんですね。また、何かを食べると胃腸に血液がいって、筋肉などへの血液が少なくなるというのもあります。運動強度が高いときにカロリーをとっても吸収できず、逆に運動強度が低いときはカロリーが吸収しやすくなります。知り合いから栄養補給のアドバイスを求められるときは、栄養補給はケースバイケースだし、摂れるときはとったほうがいいけれど、教科書通りとらなくてもいい場合もあるから、自分の体と相談しながら試していくしかないと伝えています。個人差があるため、栄養補給の量や方法はとても難しいと思います。
一番よくないのは、摂りすぎて途中からまったくとれなくなってしまうことなんです。下手するとレースのリタイアにつながりますから。

高倉さんは、かなり前から粉飴を使ってくださっているとお聞きしました。

そうなんです、かなり前から粉飴を使っていますよ。ぼくが使い始めたとき、少なくともぼくの周りで粉飴を使っている人はいませんでしたし、私が粉飴を気に入っているのは、甘さが砂糖より控え目で、自分好みの味にアレンジできる点です。私が粉飴を使って自作ジェルをつくるときは、乳酸菌飲料のゆず・かりん味を少しだけ足します。ほかにもいろいろな味で試した中で、ゆず・かりん味が一番ぼくの口に合ったんです。自分の好きな味にできるというのはいいですね。この前、120kmのバイクライドを2回したとき、粉飴をボトルに溶かして750kcalにして持っていきました。

粉飴以外にどのようなもので栄養補給していますか。

粉飴のほかに以前から使っている補給食は、ぬれ煎餅です。液体だけではなくて、固形物も食べたほうがいいとよく言われているので、エナジーバーとかシリアルバーも試してみましたが、これというものはありませんでした。ぼくがトライアスロンを始めたころはナトリウムが入っているものはほとんどありませんでしたからね。そこで、調査研究好きな私は、海外から取り寄せ可能なジェルやバーをできるだけ多品種入手し、日本製の羊羹やお煎餅などもいろいろと買って、成分をすべてチェックしました。同じものをバイクとランで、さらに運動強度が高いときと低いときにとるとどうなるかを自分で比較してレポートにまとめたんです。そうして補給食として何をどれくらいとるのが最適なのかを調べた結果、ぬれ煎餅が一番ぼくに合っていたんです。ぬれ煎餅の良い点はたくさんあります。まず、お煎餅に使われているお醤油は、グラムあたりのナトリウム含有量が梅干しと同じくらいなので塩分補給ができて、カロリーもあります。さらに、ぬれ煎餅のしっとりした食感はランのときに食べやすいんです。固いものは走りながら食べにくいし、粉っぽいものは口の中の水分を持っていかれますからね。ほかの補給食は、粉飴もそうですが、ジェルや羊羹など甘いものが多いです。甘いものばかり食べて飽きてきたところに、日本人にとってなじみのある醤油味のぬれ煎餅はいいですよ。練り梅や干し梅を愛用している人もたくさんいますが、私には合いませんでした。2014年くらいからは、粉飴を使った自作のジェルとぬれ煎餅がぼくの定番になっています。いろいろな人にその組み合わせを紹介したので、ぼくの周りでは粉飴とぬれ煎餅派はいますよ。

特に長いレースになると、栄養補給ひとつで結果が変わることがあるほど大事ですよね。

プロの人に話を聞いても、補給は難しいって言いますね。プロの方には、だいたいスポンサーがついていて、そこの商品で栄養をとるらしいですが、コースや天候などの条件がレースごとに違うし、その日のコンディションが大きく左右します。ですから、前回とってよかったものが今回ははまらないということもあります。私が漠然と思っているのは、レース当日のコンディションも大切ですが、普段の食生活も含めて、レースに至るまでのコンディションが非常に大事だということです。トライアスロン歴は長いですが、栄養補給の正解はまだわからないですね。
競技時間が12時間にもおよぶウルトラマラソンなどは、補給のタイミングを普段の生活に近づけるという話を聞いたことがあります。つまり、日常生活で朝・昼・晩の食事をする時間になったら時間をかけて固形物をとります。その合間はジェルでつないで補給のリズムを整える人もいるそうです。栄養補給の仕方は人それぞれですから、練習やレースでいろいろな方法を試し、研究されるといいと思います。

奥深い、貴重なお話をありがとうございました。多くの方が参考になると思います。

インタビュー:トライアスロン篠原 知美 様

2019年 IRONMAN70.3 World Championships Nice(出場予定)
IRONMAN Bangsaen70.3 タイ(世界選手権のスロット獲得)
2018年 ITU 世界トライアスロングランドファイナルゴールドコースト年代別日本代表
2017年 葉山オープンウォータースイム 4500m ウェットあり 女子総合2位
ITUトライアスロンワールドカップ宮崎大会 年代別優勝
江戸前トライアスロン女子総合優勝(2連覇)
ITUロングディスタンストライアスロン世界選手権Penticton エイジ24位(日本人2位)
2015年 第32回全日本トライアスロン宮古島大会(年代別7位、総合64位)
五島長崎国際トライアスロン大会・バラモンB(年代別優勝)
第10回大雪山忠別湖トライアスロン大会(年代別優勝、女子総合4位)
第2回木更津トライアスロン大会(SP女子総合3位)
江戸前トライアスロン大会(女子総合優勝)
第31回全日本トライアスロン宮古島大会
第1回木更津トライアスロン大会(SP女子総合優勝)
2014年 第30回全日本トライアスロン宮古島大会
2013年 佐渡国際トライアスロン大会B
江戸前トライアスロン(女子総合3位)
2012年 幕張チャレンジトライアスロン (年代別優勝、総合4位)
第3回館山わかしおトライアスロン(SP女子総合2位)

2012年にトライアスロンデビューされてから、すごい成績を出されていますが、もともとどのようなスポーツをされていたのですか。

中学、高校、大学、社会人までは陸上の短距離をやっていました。一番速かったのは、中学時代ですね。社会人になってからも、CAとして国際線に乗務しながら、会社のランニングチームにも所属して、仕事の合間に大会に出たりしていました。

短距離なのに、トライアスロンですか? ほかのトライアスリートの方たちにも多いのですが、トライアスロンの練習を始めてから大会に出るまでの期間がかなり短いですよね。

2010年に客室乗務員の仕事を辞めるときは、まさか自分がその後トライアスロンを始めるとは思ってもいませんでした。退職後、坐骨神経痛のリハビリのためにプールに通い水中ウォーキングをしていたんです。ちょっと顔をつけて泳いでいたら、アクアスロンに出てみたら?と言われて、2ヵ月後に大会に出ることになりました。出場が決まってから、初級クロールに通って、スイムを一から練習しました。
そして2012年、高校の同級生と一緒に6月開催のトライアスロン大会に出ることになり、慌てて5月にバイクを買いました。というわけで、私がトライアスロンを始めたきっかけは、ノリと勢いです。
ノリと勢いで参加したデビュー大会で、なんと表彰台にのぼることができました。その感激に加えて、ゼリー飲料を何箱ももらえたのがうれしかったですね。次の2試合目では、賞品として高価な時計をいただいてしまって、トライアスロンを始めて間もなくても入賞するとすてきなものがたくさんもらえてすごいと思いました。

練習期間がほとんどなく大会に出られたご苦労はありましたか。

勢いでエントリーした初レースは、ほかの方たちのアドバイスやご親切なくして完走はできませんでした。ウェットスーツをレンタルしたFLEETさん(BIKEショップ)でいろいろと教えていただきましたし、レース当日には、ほかの選手に「すみません、今日が初めてなんです」と言って聞きまくりました。皆さん親切にシューズのセットの仕方やスイムからバイクに乗り換える手順などを教えてくださり、何もわからない状態でもなんとか完走できました。ひとつ言えるのは、トライアスリートの皆さんは、とても親切だということです。

篠原さんは腰の大けがや大変なご病気をされたとお聞きしました。

初レースから表彰台が続いて、トライアスロンが楽しくなり、翌年はたくさんの大会にエントリーしました。ところが、春にぎっくり腰になり、治ったころに今度は交通事故に遭いました。このときのむち打ちの影響で、けがが治ってからもよく立ちくらみがするようになったのです。1カ月後ぐらいに、家の階段で立ちくらみがして、転んで腰を激しく打ちました。痛くて動けない状態で、何とか自力で救急車を呼びましたが、身体の感覚がどんどん失われていき、遠のく意識と戦いながら死にそうな思いで玄関の鍵を開けましたが、その後のことはほとんど覚えていません。搬送先の病院で検査した結果、脳は大丈夫でしたが、腰はぽっきり折れていました。もうさんざんな1年でしたね。
腰を骨折してから、2014年と2015年はレースの数を抑えぎみにして出場していましたが、今度は会社の健康診断である病気が見つかったんです。自覚症状がまったくなかったことと、結果が再検査ではなく要治療だったことに動揺しました。そしてそれは、大会の2週間前というタイミングだったんです。ドクターは、進行は早くはないので急を要するものではないけれど、オペをしてすぐに大会に出るのは難しいだろうということで、治療は大会後にしてもらいました。そんな状態でしたから、これが私にとって最後のレースだろうと思って臨んだのが、「第1回木更津トライアスロン大会」です。その大会で、なんと総合優勝することができました。最後を優勝で飾って引退かと思ったのですが、治療したあとは、すっかり元気に戻ってきました!(笑)

度重なるけがや病気と戦いながらも、宮古島大会に5年連続完走されていますね。

腰のリハビリも続けていましたし、私は短距離出身だし、ロングは引退しようと思ったところに2014年宮古島大会のエントリーが始まりました。トライアスロン仲間から「どうせ当たらないから、エントリーだけはしておきなよ」と言われてエントリーしたら、私だけ当選したんです。一人で参加するのも嫌だし、スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42.195キロなんて無理だと少し後ろ向きだったんですが、みんなから「当たったからには出ないとダメだ」、「1回辞退したら次はもう絶対に当たらない」と発破をかけられ、出場を決意しました。十分な練習はできませんでしたが、なんとか宮古島大会を完走することができました。おかげさまで、それから5年連続完走です。

軽い気持ちで始められたトライアスロンにここまで情熱を傾けるようになったのはなぜだと思いますか。

普通のことを言いますけど、トライアスロンはとても苦しいものです。やっている最中に「こんなに苦しいことにお金を出して、子どもたちを母にお願いしてまで、私は何をやってるのだろう」って思います。でも、完走したときの達成感や満足感は何にも代えがたいんですよね。ケガをしたり、抜かれてしまったり、またレース中いろいろ失敗したりと自分が思うようにでなかった時は、来年もまたリベンジしに行きたいと思いますね。とても良い大会だったり、たくさんお友だちができたり、入賞したりしても、「また来年も来なくちゃ!」となるので、どちらにしてもやめられなくなってしまいますね。

篠原さんはアスリートフードマイスターの資格をお持ちだと聞きました。どうしてその資格をとることになさったんですか。

もともとお料理が好きで、主婦向け女性誌で毎月、海外で流行っている食材やお料理、商品を紹介したり、栄養があって彩りや盛りつけがきれいなおもてなし料理などを作ったりしていました。 
その後、雑誌のお仕事からは離れてトライアスロンを始めるわけですが、けがをして練習もレースができない時期がありました。そのとき、友だちに「身体が使えないなら頭を使え。寝ているだけじゃだめだ」と言われて目覚めました。腰を骨折して寝返りも打てなかったので、横になりながら栄養の本を読んで勉強しました。日頃から栄養を考えた食事をつくるように心がけていましたが、アスリートに特化したアスリートフードマイスターとしての勉強を始めたのはその入院しているときですね。アスリートフードマイスターの説明会、試験には、退院後に杖をついて受けに行きました。

アスリートフードマイスターとは、どういうものですか。

アスリートフードマイスターとは、「アスリートのパフォーマンスを最大化するために、年齢別・種目別・時期別に合わせ、最適な食プログラムを提供する人材」(アスリートフードマイスター協会のHPより)です。野菜ソムリエ協会の資格の1つで、アスリート向け栄養学の資格としてはたぶん国内初だと思います。
国家資格の管理栄養士と違って、アスリートフードマイスターは民間資格です。プロのアスリートやオリンピックを目指すような方は、実績のある管理栄養士さんに頼んで指導してもらうと思いますが、私たちのようなアスリートフードマイスターでも十分にお役に立てると思います。管理栄養士とアスリートフードマイスターの資格を両方持っている方もたくさんいらっしゃいます。

篠原さんと粉飴の出会いや、使用方法を教えてください。

以前、出た大会すべてに入賞して、副賞で毎回粉飴をもらいました。表彰式が終わると、粉飴を欲しいという友人たちに配っていました。この粉飴を気に入って使っているのは、トライアスリートやトレイルランナーなど持久系はもちろん、パワー系の運動をする方々も多いですね。
現在は、『篠原知美のおしゃれ粉飴アスリートレシピ』として、粉飴や粉飴ジェルを使った簡単にできるレシピをご紹介しています。そのまま飲むだけという方、おうちにあるけどどうしようという方など、是非チェックしてみてくださいね!

篠原知美のおしゃれ「粉飴 アスリートレシピ」

練習やレースでは、どのように栄養補給をされているのですか。

練習では、グルメライドと言うのですが、行った先で、おいしく人気のお店に入って食事をするんです。真剣に練習されている方は、しないみたいですけど。(笑)
レースでのカロリー計算は、かなりアバウトかもしれません。男性のほうが方程式に当てはめたりして、きっちり計算する傾向にありますね。私の性格なのでしょうけれど、カロリーの数値にあまりとらわれず、自分の中でだいたいこれくらいとれればOKという感覚を大事にしています。
ロングでは6000~8000kcal消費すると言われていますが、人によってそれ以上とる方もいれば、気持ち悪くなってとれない方もいます。さらにいえば、その日のコンディション、当日の気温や気候、汗のかき方、前日に何をどれくらい食べたかによって、栄養補給の内容も量も変わります。以前は重宝したジェルでも気持ち悪くなったり、バナナやおにぎりのような固形物を食べられるときもあれば、受け付けなくなるときもあって、試合ごとに状況が異なりますから、臨機応変に対応できるようにいろいろなものを持っていきます。今年はおにぎりを前半に食べるようにしました。トライアスロンでは小さくて軽くて甘すぎず、しかしカロリーはしっかりあるジェルがあると便利ですね。
補給のタイミングは、「15キロで1回」などと、距離で設定するのではなく、距離はスピードによって変わってくるので、時間で考えます。私の場合は(天候や体調や当日のコンディションなどにより異なりますが)少なくとも約30分に1回はスポーツドリンクなどをとり、約45分に1回固形物をとるようにしています。

2019年9月には、憧れのIRONMAN70.3 World Championships Niceに女子の年代別代表として出場されますね。

そうなんです。2019年2月にタイで行われたIronman Bangsean 70.3でラッキーなことにスロットを獲得して、チャンピオンシップの出場権を取ることができました。今は、世界のトップ選手たちが集うチャンピオンシップに向けて練習をしているところです。IRONMAN屈指のきついコースで今の自分にはかなり厳しい闘いになると思いますが、自分としてのチャレンジだと思って、また、楽しむことも忘れずに、最後まで頑張りたいと思います。

それにしても、中学以降は結果があまりでなかった学生時代と比べると、トライアスロンを始めてすぐに表彰台に登れて、数年で日の丸を背負って国の代表に自分がなれたなんて夢のようですね。数年前には、泳いだりこいだりしている今の自分の姿なんて考えられませんでしたから。
また、子育てしている期間は、〇〇ちゃんママや〇〇くんママだった私が、トライアスロンの世界では篠原知美選手という一個人になるんです。最初に名前をコールされたときに、誰かのママとして頑張るのではなくて、わたしという個人として頑張らなきゃいけないことに気づきました。今度の世界選手権も、完走を目指して頑張ります。

世のお母さん方も大きな勇気をもらわれるでしょう。頑張ってください。

インタビュー:トライアスロン川本 和美 様

2018年 TNF100 タイ(100kmトレイルレース)(予定)
2017年 房総横断70km(予定)
志賀高原エクストリームトレイル ロング(女子優勝)
上州武尊山 みなかみ75k(女子総合 4位)
佐渡トライアスロン Aタイプ(女子総合 4位)
館山若潮フルマラソン(女子3位)
トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国(女子100km優勝)
2016年 館山若潮フルマラソン(女子優勝)
全日本トライアスロン皆生大会(女子11位、年代別優勝)
佐渡国際トライアスロン大会(Aタイプ女子優勝)
鋸山トレイル30km(女子優勝)
2015年 全日本トライアスロン皆生大会(女子13位、年代別4位)
佐渡トライアスロン(Bタイプ女子11位 年代別3位)
2012年 七尾湾岸トライアスロン大会ショート(女子10位、3時間00分23秒)

すばらしい成績を残されていますが、学生時代からやられていたのですか。

川本:学生時代はずっと陸上部に所属していて、長距離を走るのは好きでした。社会人になってちょっと太ってしまい、ダイエット目的で走り始めたのが約10年前です。のめりこんでしまう性格のようで、もともとはロードランだけだったのに、バイクに乗る友人がとても格好良く見えて、トライアスロンを始めたんです。
私の周りでトライアスロンを始めたきっかけで多いのは、ダイエット目的でスイミングを習っていた人が、トライアスロンの練習で泳いでいた人にやってみないかと声をかけられて始める、マラソンの大会で一緒になった人にバイクにも乗らないかと誘われて始めるといったパターンです。トライアスロンをしている人が自分の練習をしながら、バイクだけ、スイムだけ、ランだけやっている人を見つけて巻き込んでいくんです。全部やったほうが楽しいですから。トレイルランニングはランの練習の一環として始め、トレイルランナーのファッションの格好良さに魅かれてはまっていきました。

なるほど。レースに出ることになるのには何かきっかけがあったんですか?

川本:一緒に練習している仲間があるレースに出ることになって、私も誘われたんです。飲み会でついポチット出場ボタンを押してしまったというか…。

その後はどんなレースに参加されていますか。

川本:デビュー戦は、2012年の「七尾湾岸トライアスロン大会ショート(女子10位、3時間00分23秒)」で、得意のランで何とかくいこむことができました。そして、初めてのレースでコースを知ることができて、もしかしたら2回目はもっといいタイムや順位が出るのではないかと欲が出て、レースにはまってしまいました。2015年に「全日本トライアスロン皆生大会(女子13位、年代別4位)」、「佐渡トライアスロン(Bタイプ11位 年代別3位)」、2016年「館山若潮フルマラソン(女子優勝)」、「全日本トライアスロン皆生大会(女子11位、年代別優勝)」、「佐渡国際トライアスロン大会(Aタイプ女子優勝)」、「鋸山トレイル30km(女子優勝)」が主な参加レースです。今年は、「館山若潮フルマラソン(女子3位)」、「トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国(女子100km優勝)」に出場し、これから「北丹沢12時間山岳耐久レース」「佐渡国際トライアスロン大会Aタイプ」「みなかみ町スカイビュートレイル60」、「FunTrails100K Round秩父&奥武蔵[通称FTR100]」などに参加したいと思っています。

普段は、どのような練習をされているのですか。

川本:私の練習はランが中心です。ランは、トライアスロン、トレラン、マラソンのどれでも通用する基本です。平日は、朝に1時間のローラーとロードランを10km~18km走る感じでしょうか。週末は、一人でロードランか房総半島でバイクの練習をします。バイクでもトレイルでも、主に使う筋肉は太ももの裏のハムストリングスなので、バイクの練習はトレイルの練習にもなるんです。誘われたら山でトレイルの練習をしたり、ロードバイクの練習会に参加したりすることもありますね。そして、次の週末にレースがなければ、木曜日を休養日にしています。

トレーニングやレースで、やりすぎもよくないということでしょうか。

川本:そのとおりです。5~6年前にけがをして、治るのに3ヵ月もかかった経験から、練習量はある程度コントロールしています。リハビリ中の3ヵ月もじっとしていられなくて、練習で走っていた距離を歩いたりしていました。歩くだけで身体の状態も変わり、身体を動かすことがストレス発散となります。練習ができるようになってからは、少しずつ強くなって、レースで成績を収めることができ、自信がついて前向きになるなど、いいことがつながっていきます。やりすぎなければ、いいことだらけです。

最近ではバイクで200㎞以上乗れるようになったり、トレイルランで100㎞走れるようになったり、競技の種類がどんどん増えていますよね。当時始められた頃には想像もしなかったようなことが、今起きている感じですか。

川本:まったくそうです。軽い気持ちで走り始めた当時は、ランで30㎞以上走ったり3㎞以上泳ぐなんて、絶対に私にはできないと思っていました。山で100キロ走るなんて、私にはぜったいにできないと思っていました。走っていたら仲間ができて、楽しいからスイムやバイクもやってみれば?って誘われてトライアスロンに出るようになって、トレランも始めてしまいました。

それがもはや、誰もかなわないチャンピオンです。すごいですね。トレイルランニングとトライアスロンには、違う良さがありますか。

川本:トライアスロンのロングと長い距離のトレイルランニングは、どちらも動く時間が10時間以上になるので、さほど変わらないように思います。トライアスロンは長い時間でも3種目あるので気分転換できるんです。トレランはコースに変化があっておもしろいですし、どちらも楽しいと思います。

粉飴はいつごろ、どのようにお知りになりましたか。

川本:2016年の佐渡国際トライアスロン大会で知りました。私は固形物で栄養をとれるほうなので、練習会では安くて手軽な羊羹をよく利用していました。この白い粉が栄養補給にいいなんて、はじめは半信半疑でしたよ。調べてみると成分が羊羹と似ていて、いろいろな味付けができる利点があるので使い始めました。私はドリンクにも溶かしますが、粉飴を混ぜ込んだ粉飴ケーキにしてレース会場に行く前に食べます。多くの選手は、家を出発してからスタートまでの間にあまり栄養補給しないようですが、私はスタート前にこういうものを食べて、へたらない体づくりをしてレースに臨みます。こうしてカーボローディングして力をしっかり貯めておくと、レース中は液体の粉飴ジェルを補給するだけで乗り切ることができるんです。私はレース前のこの栄養補給が大事だと思っていて、皆さんにもおすすめしたいですね。

川本さんのように、スポーツをするときは粉飴ケーキのようなもので栄養をとって体の準備をすることは非常に大切だと思います。しかし、一般的にダイエット目的で運動している人は、運動中に栄養をとることに抵抗がある方が多いようです。そういう方たちに向けて、何かアドバイスはありますか。

川本:やはり、体が動いている間は、食べたり飲んだりして栄養をこまめに補給しないと駄目ですね。体を動かしたら、脂肪が燃えて、カロリーを消費します。使った分を補給しないと、動けなくなります。食べることは悪ではなく、動ける体づくりをしていると考えたらいいのではないでしょうか。体を動かしている間の補給と併せて、レースや練習後はアミノ酸系をとって回復することも大事だと思います。

ありがとうございました。女性アスリートのリーダーとしてこれからも頑張ってください。

インタビュー:トライアスロン谷口 滋彦様

2017年 稲毛海浜公園マラソン(優勝)
トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国(100km優勝)
2016年 佐渡国際トライアスロン大会(総合25位、年代別2位)
FunTrails100K Round秩父&奥武蔵[通称FTR100](27位)
2015年 ハセツネカップ(男子総合139位、年代別12位)
佐渡国際トライアスロン大会(総合90位、年代別4位)
2014年 アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン(総合146位、年代別12位)
身延山七面山修行走(75位)

トライアスロンはどのようなきっかけで始められたのでしょうか。

谷口:就職した当時、私は今より太っていました。それで、運動して痩せないといけないと思い、配属先に引っ越すときに、父のロードバイクを勝手にもらっていきました。引っ越し先は秋田で、夏はロードバイクに乗り、雪がたくさん降る冬は自転車ではなく水泳をしました。それで、ある時にふと「あと走れるようになれば、トライアスロンできるやん」と思い、最後にランを始めたんです。

昔からスポーツが得意だったんですか?

谷口:いえ、高校時代は剣道部でしたが、長距離走が嫌いでした。高校のマラソン大会ではスタートして500メートルで草むらに隠れてブービー賞だったこともあるくらい、スポーツは得意ではないんです。(笑)
私の個人的な意見としては、スポーツが大好きで得意というわけではない方でも、トライアスロンをできると思います。特に距離が延びれば延びるほど運動神経より努力と根性の世界になりますから、練習を重ねれば確実に強く早くなることができます。ですから、何かのスポーツをやっていたことは、あまり関係ないように思います。

健康のためにジョギングを始めた方がトライアスロンに行きつくケースは多いように思いますね。周囲の方々もそのような方は多いですか?

谷口:健康や体力アップのために始めた方もいれば、お酒を美味しく飲みたいから始めたという方もいます。(笑) チームの仲間と練習後や、レース後にお酒を飲むと楽しいじゃないですか。そういう点では、仲間づくりやコミュニティづくりでトライアスロンにはまっていく人もいます。ぼくの場合、あまりストイックな性格ではないので、一人ではなかなか練習できなかったと思います。トライアスロンのトレーニングを始めて1年くらいで地元の大会(2012年象潟(きさかた)トライアスロン大会)に出場できたのも、地元のトライアスロンチームに所属して仲間と一緒にトレーニングしていたからだと思います。

練習開始から1年でレースに出るなんてすごいですね。最初のレースに出てからは、毎年のようにレースに参加されてきたんですか。

谷口:そうですね。2012年か2013年に「田沢湖マラソン」でマラソンデビューしました。その後、転勤で千葉に引っ越し、また地元のトライアスロンのチームを探して入ったんです。そのチームは、長めの距離を練習するので、せっかくだから自分もレースの距離を伸ばしてみて、2014年は「アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン(総合146位、年代別12位)」、初トレイルで「身延山七面山修行走(75位)) など、トライアスロン以外のレースにも参加しました。チームのトレイル仲間から気軽に「ハセツネに出よう」と声をかけられて、2015年は「ハセツネカップ(男子総合139位、年代別12位)」に挑戦したり、「佐渡国際トライアスロン大会(総合90位、年代別4位)」に出ました。2016年は「佐渡国際トライアスロン大会(総合25位、年代別2位)」、「FunTrails100K Round秩父&奥武蔵[通称FTR100](27位)」という大きな大会に出て、2017年は2月に「稲毛海浜公園マラソン(優勝)」、5月に「トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国(100km優勝)」に出場しました。今後もいろいろな大会に参加したいですね。

谷口さんは、普段はどのような練習されているんですか?

谷口:平日は、朝5時から出勤前までの時間が主にランの練習、仕事の後はスイムの練習が中心です。土曜日はバイクの長めでハードな練習、日曜日はラン(夏はトレラン、冬はペース走)をしています。練習内容は季節によっても変わります。トライアスロン・シーズンの夏は土日ともバイク、トレイル・シーズンの秋はバイクにほとんど乗らずに山への遠征が多く、冬はロードランニングがメインですね。よく行くバイクコースは、房総半島、道志みち~富士山、不動峠帰れま10(峠10本)、そして帰りは輪行でビールですね。トレイルは、高尾山、青梅、逗子、武蔵五日市、関西方面では六甲山、ダイヤモンドトレイルでしょうか。昨年から年に数回ほど、ファストパッキングもやります。ファストパッキングは縦走やハイクにランを組み合わせた感じで、より早くより遠くへ移動する登山スタイルです。1泊2日で奥秩父主脈縦走、2泊3日で大峰奥駆道など、きついことをやり遂げたり、少しずつ距離が延びていったりすると「やったぞ」という達成感があります。タイムも大事ですからバランスをとらなければなりませんが、私はタイムを上げるための練習より、遊びの要素を入れて楽しみながら距離を延ばす練習が好きなんでしょうね。

谷口さんはレース中の栄養補給でどのようなことを気にしていますか?

谷口:レース中の栄養補給は45分に1個と決めて、バイクのときはできるだけ固形物をとるようにしています。実は、2015年の大会では、先輩たちからとにかく食べないといけないよ、とアドバイスを受けて食べ過ぎてしまいました。一気に栄養をとりすぎて、血糖値が上がってバイク中に眠くなって力が出なかったんです。そしてランでは気分が悪くなって、今度は食べられなくなってしまいました。完全に補給ミスが原因です。そういった経験によって、栄養に関する知識が徐々についていきました。特にバイクでは、時間を決めるというのが大事ですね。バイクではお腹にたまるものを食べるようにしますが、粉飴を使った水分とカロリーを同時に補給できるドリンクで栄養の不足分を補います。

粉飴は以前から使われているのですか。

谷口:粉飴を初めて知ったのは佐渡国際トライアスロン大会でもらったときでした。しかし、当時はその魅力がわからなくて使わなかったんです。最近トライアスリートに粉飴愛用者が増えているようで、トレランの練習で使ったら、「これはすごくいい!」と思い、今ではとても便利に使っています。バイクの練習では固形物でエネルギーをとりたいので、コンビニに寄ることが多いですが、時間がないときは粉飴が重宝します。ぼくは、暑くなると固形物を受け付けなくなるので、柔らかいもので栄養補給したいんです。でも市販のジェルは、ぼくには味が濃すぎて好みではありません。その点、粉飴は癖がなくて、味が良くて、好きなジュースと混ぜて自分好みの味に調節できます。それに、すぐにエネルギーに変わる即効性もありますから、レース後半での栄養補給に向いています。

谷口さんはどんな配合で粉飴を使っていらっしゃいますか。

谷口:粉飴は便利に使えると感じてからは、粉飴の配合にもハマり始めていて、粉飴の量や組み合わせるジュースをいろいろ変えて実験感覚で楽しんでいます。(笑) オレンジジュースやリンゴジュースと粉飴の組み合わせは、おいしいのでおすすめです。山に行くときには、ブラックの缶コーヒーに粉飴を入れてほんのり甘くてカロリーのあるコーヒーをつくっていきます。山で飲むとそれが感激するほどおいしいんですよね。(笑) 
大会では、荷物をできるだけ軽くするために、少なめの水に粉飴を濃いめに混ぜています。トレランのときは、エイドでお米を食べたりして栄養補給をするので、ジェルはあまり持たないかな。100kmのレースだと、300gの粉飴が入った500mlドリンクを2本用意して、50kmごとに1本ずつ飲み切ると、1200kcalくらいのエネルギーをとりながら水分補給もできますよね。レース中にとる約4000kcalのうち、半分くらいを粉飴でとれるといいような気がします。普段の練習のときは美味しく感じるジェルも、レースの極限状態ではあまり受け付けないことがわかったので、粉飴に出会えてよかったです。

ありがとうございました。これからも楽しみながら頑張ってください。

インタビュー:トライアスロン楠 雅喜様

2018年 Ironman Philippines(予定)
2017年 Ironman Korea
トライアスロンさぎしま
2016年 Ironman Cairns
2015年 Ironman Taiwan
サンライズイワタAタイプ(年代別2位)
2014年 皆生トライアスロン
湘南シクロクロス
関西シクロクロス
2013年 皆生トライアスロン
グリーンパークトライアスロンin加西(総合4位)
2012年 皆生トライアスロン
関西シクロクロス
篠山マラソン

トライアスロンを始められたきっかけを教えていただけますか。

大学時代はクロスカントリースキーの選手でしたが、シーズンが3カ月しかないことや社会人になると時間の制約で遠征しにくいこと、また地球温暖化の影響で雪が少なくなってきたので、大学を卒業したら引退することにしていました。ただし、クロスカントリースキーという競技は非常に激しいスポーツで、急に辞めると心臓によくないと聞いていました。次の目標を探していたところ当時アルバイトをしていたスポーツクラブの社員さんから自転車ロードレーサーを譲り受けたことをキッカケとしてトライアスロンに挑戦しました。ですから、トライアスロンをはじめて25年目になります。

私は、香川県小豆島の出身で、海は得意でしたし、ランもクロスカントリーのトレーニングで夏場走っていましたからトライアスロンにはすんなり入れました。また当時は「小豆島オリーブ国際トライアスロン」という大会が行われており、私が1992年にデビューしたのもこの大会でした。当時はレース数が少なく、日本トライアスロン界の黎明期で、情報もノウハウもなく、「トライアスロンジャパン」という雑誌が唯一の情報源でした。

現在までに、マラソン、自転車ロードレース、シクロクロス、MTB、遠泳、スイム駅伝とマルチスポーツを楽しんでいます。

トライアスロンの良さはどこにありますか。

トライアスロンを経験することで、何でもできそうな得体のしれない自信を得ることができ、たいていのことでは驚かない胆力もついたと思います。20代の体型が維持できるし、時間の使い方も上手になりますし、何より知り合いも増え、人から「すごい」とほめられます。ただし、貯金はできませんし、自分中心の生活になりがちです(笑)。総じて、幸せを感じることができること、これが一番でしょうか。また、特にトライアンのロングの場合、40歳代から選手層が厚くなります。人生の中でも家庭、仕事、趣味、メンタルのバランスが取れて、取り組みやすくなるのだと思います。

常に何かテーマのようなものを持って挑まれているのでしょうか。

今年は、バイクの強化をテーマに掲げています。昨年、アイアンマンケアンズに出場したのですが、海外の選手と互角に戦うには、もっとバイクパートで強くなる必要があると感じました。春からパワーメーターを導入しレースを意識した出力を維持できるように取り組んでいます。

また、最近は、海外のレースに参加しています。日本のロングのレースは抽選式ですごい倍率です。出場しにくくなったことで予定が立て難くストレスを感じます。海外のレースは先着順なので、アジア太平洋地区のレースに参加しています。

海外のレースの良さは、まず世界のトップの選手が集まるということ、またスポンサー企業やブースも多くきらびやかな雰囲気です。特にケアンズでは観客の方の盛り上がりがすごく、街全体がお祭り騒ぎで私に対してもあちらこちらで「Masaki, Come on, Go, Go!」と名前を叫んで応援してくれました。次は、9月に「Ironman Korea」に参加する予定です。

具体的な目標はありますか?

このレースで上位に入ると、トライアスリートにとっての聖地であるハワイ島コナで開催される「アイアンマン世界選手権」に参加することができます。

ただし世界のトップが参加しますし、壁は非常に高いのですが、トライアスロンは何が起こるかわかりません。ゴールテープを切る瞬間まで持てる力をすべて出し、コナへの夢を持ち続けたいと思います。

普段はどのような練習をされているのですか。

レース前には、6カ月以上のスパンで綿密に計画を立てます。朝にランを行い、夜はバイクかスイムの練習をします。最近は休息をトレーニングと同様に意識しています。週に1日はランニングしない日をつくったり、1カ月の中で1週間は回復にあてる期間を取ったりすることで故障を回避するよう工夫しています。

粉飴についてお聞きします。どのようにしてお知りになったのですか。

粉飴との出会いは、「Ironman Cairns」の大会のときに、粉飴の分包をいただいたのがきっかけです。そのときは使い方もわからず、そのまま食べてしまいました。(笑)

今春、「KONA-AMEアスリートクラブ」に参加させていただき、皆さんからオススメの使い方を教わり、そこから本格的に使わせていただくようになりました。

お使いになっていかがでしたか。

何よりも即効性があります。消化吸収が早いので、摂取するとすぐに効きます。また、これが一番のポイントかもしれませんが、ボトルに溶かして入れておくことで、片手でこまめに摂ることができます。実は補給を一度にたくさん摂取すると、吸収されなかったり、水分が排出されたりして無駄になることがあります。また、血糖値が乱高下して眠気に襲われることもあります。摂取するために手間がかかってもいけません。その点ボトルに溶かして入れておけば、わずか何秒かで摂取することができ、レースに集中することができます。

これは難しいところで、エネルギーは摂らなければいけないのですが、摂りすぎるのもよくありません。激しい運動中は、胃腸への血流が減少し消化機能が落ちていますので、摂り方を考えないと胃腸にも負担をかけますし、嘔吐してしまうこともあります。

私も以前失敗したことがあります。粘度の高いジェル状のものを摂ろうとしたのですが、粘度が高すぎてボトルから出てこなくてまったく摂ることができませんでした。翌年は少し薄めたので、今度は摂ることができたのですが、消化吸収が追いつかず、吐き気に襲われました。いくつかの失敗を経験しながら、自分に合った方法をつかみ始めています。

これはトライアスリートの特長と言えるかもしれませんが、新しい機材や理論を積極的に取り入れるような気質があります。以前は補給や食事に無頓着な方が多かったのですが、近年は情報が拡散され、誰もが意識するようになってきました。

現在は、具体的にどのようにされているのですか。

バイクボトルに250gの粉飴に水を加えてシェイクします。嵩が目減りしてできた隙間を水で満たし、1時間置くとキレイに溶けます。これで、1ボトルあたり189円で955kcal摂取できます。150�のバイクライドも粉飴ボトルと水ボトルだけで走ることができます。

粉飴は、甘すぎず、自己主張しないので、クエン酸、グリセリンドリンク、塩などをミックスし、自分の好みの味や機能を強化できるのも魅力のひとつです。

体重63キロの人が30分間に消費するカロリーはスイム655kcal、バイク265kcal(時速30km)、ラン403kcal(時速12km)だそうです。例えば、アイアンマンのスイムを1時間、バイク6時間、ラン4時間でゴールすると、トータル7714kcalものエネルギーが消費され、体に蓄えられるエネルギーを差し引いても相当量のエネルギーの補給をしなければなりません。

さらにやっかいなのが、「ローコスト」「入手しやすい」「携行しても苦にならないコンパクトさ」「インシュリンを乱高下させにくい」といった条件です。

これまで市販のスポーツドリンク、固形バー、ドリンクゼリー、一口羊羹を試してきました。一口羊羹は保存性も含め、私の条件を満たしているのですが、摂食方法が唯一欠点でした。

「KONA-AME forアスリート」は、各要件をハイレベルでクリアし、バイクボトルに詰めることで、片手で小刻みに摂取することができるので、たいへん気に入っています。粉飴を摂ることで、これまでにはない感覚を覚えました。

ありがとうございました。Ironman Koreaのレース、期待しています。

インタビュー:トライアスロン河原 勇人 様

JTU公認 トライアスロン中級指導者

タイムのためにも、体のためにも、
栄養に関する知識を持つことが大切

主な戦績

2016年 日本最長のトライアスロン佐渡国際トライアスロンAタイプ(S:3.8km/B190km/R42.2)優勝
2013年 ITUロング世界選手権ベルフォート大会 団体準優勝
2011年 全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
2008年 全日本トライアスロン宮古島大会 優勝
JTUスーパースプリントシリーズ 年間チャンピオン
2005〜
2007年
日本ロングディスタンス・トライアスロン選手権佐渡大会 3連覇

トライアスロンでの栄養補給の重要さを実感

トライアスロンとの出会いはどのようなものでしたか。

私は静岡県沼津市の生まれで、子どものころから沼津では毎年トライアスロン大会が開催されていました。中学生の時に初めてトライアスロンのレースを見に行ったときに、老若男女の参加者がいることと、あれだけ過酷なレースなのに参加している人が本当に楽しそうなのを見て興味がわきました。そのレースは、数人でチームをつくって一人がスイム、バイク、ランをしたら次の人に交代して駅伝のようにつないでいくものでした。お互いが応援し合ったり、競ったりして、とても良い雰囲気の大会だったことを覚えています。

トライアスロンを始めてからどのように活動されていますか。

高校までは800m、1500mなど中距離の陸上競技をしていて、大学に入ってから本格的にトライアスロンを始めました。私が通った大学にはトライアスロン部がなかったので、大手のスポーツメーカーが主催する練習会、日本のプロトライアスリート第一号の飯島健二郎氏が立ち上げた「チームケンズ」(http://teamkens.co.jp/)の練習に参加していました。
大学3年生のときに出場したインカレの本戦では33位という悔しい結果に終わって、そこから練習にのめりこんで、翌年の関東インカレでは優勝、全日本インカレで3位に入ることができました。大学卒業後はトライアスロンを仕事にしたいと思い、2000年から2015年までチームケンズで、チーム員と一般の方の指導員を兼ねた契約選手として活動していました。今は業務委託でケンズの指導員は続けています。
オリンピックでのトライアスロンは、最初のスイムでいい位置にいないとバイクの有力集団に入れず、バイクやランが得意なだけでは上位に入ることはできません。ですから、私は、得意なランや潰れない粘りを活かせる、長距離のトライアスロンを中心に活動しています。

トライアスロンという競技の特徴は何ですか。

3種目あるので、戦略の立て方が大事なスポーツです。例えば宮古島のレースでお話しましょう。海外勢は水泳と自転車のスピードがずば抜けていますので、そこで無理に勝負はせずにトップから10分以内の差でランを迎えるようにします。海外選手がランを3時間ちょっとで戻ってくるのに対して、私は2時間50分ほどで走ることができましたので、射程圏内でランに入ることを大事にしています。
また、特に長い距離のレースでは、前半に勢いだけで押していくと後になってしっぺ返しが来てまったく体が動かなくなってしまいます。陸上競技をしていたときの給水は水分を摂るくらいでしたが、トライアスロンでは栄養補給が大事なんだということを、身をもって学びました。今までにない種目だなとも感じましたね。

トライアスロンという過酷なレースでは栄養補給は非常に大切なことですね。

マラソンだけですと、少しの補給があれば、体脂肪をエネルギーにしながら乗り越えることができます。でも、トライアスロンのロングの場合は、バイクパートだけで5000~6000キロカロリーを必要とします。以前は、30分おきに大福もちやおにぎりを水やスポーツドリンクといっしょに食べたりしていました。長丁場のレースになると、かなりの数の大福やおにぎりを自転車に積んで、走りながら食べていましたね。お腹が空いて血糖値が下がった状態になってからたくさん食べると、血糖値が急激に上がり、胃が揺さぶられて気持ちが悪くなってペースを落としてしまうことにつながります。補給するエネルギーが適切な量という観点も大事なことですが、エネルギーの質も大事だと思います。

粉飴は、手軽さ、エネルギーの豊富さはもちろん、身体だけではなく精神的にもメリットが大きい

粉飴は以前からご存じでしたか?

粉飴は2年ほど前から使用しています。特に暑い日のレースでは、固形物を受け付けられないので、重宝しています。
粉飴のいいところは、カロリーが豊富なのにあっさりしていて飲みやすいから、レース中や練習中に摂ることができることです。マルトデキストリンを調べたら、ロングのレースに良いことばかりですよね。粉飴を使う前は、レース中に血糖値が上がったり下がったりして、集中力が切れて失速する原因になっていました。粉飴を使うようになってからはレース中の血糖値が安定して、レースにより集中でき、後半に失速しなくなった実感がありますね。

トライアスロンのレースでは、どのような準備をしてどのように栄養補給をしていますか。

バイクパートでは、2本以上のボトルを用意します。1本には水を入れて、もう1本にはスポーツドリンクに粉飴を高い濃度に溶かし、クエン酸、天然塩を入れます。そちらのボトルから一口飲んだら、もう1本のボトルの水を飲んで薄める感じで摂取します。ちょうどいい濃さのドリンクを2本にしてもいいのですが、レースの途中でバイクボトルを入れ替えるとき、2本捨てて2本受け取るためにかなり減速しなければなりません。私の場合は、交換するのは水のボトルだけにして、濃いほうのボトルはレース中ずっと使うようにしているんです。
自転車用の1リットルボトルに600gの粉飴を入れますので、1本で約2400キロカロリーですね。バイクの中間点にスペシャルニーズという補給食を受け取れるところがあって、そこで新しいボトルを受け取るようにもします。ドリンク2本で約5000キロカロリーをとれますが、6000キロカロリー程度になるように固形物の食べ物も受け取ります。
長時間のレースや練習での栄養補給では、唾液を出すことも重要で、消化を助け、脳を活性化します。私は梅干しの種を口の中に入れてバイクを走ることもあります。

レースが終わったあとの補給も重要ですね。

レースのゴールテープを切った瞬間から次のレースへの準備が始まるわけです。レースが終わると、すぐに体を回復させなければなりません。粉飴は早く体を修復するのにも有効です。レースや練習の後30分以内に体の材料となる炭水化物とタンパク質などを摂るようにしています。

普段はどのような練習をしてらっしゃるのですか?

私が出ているのは長い距離のトライアスロンのレースがメインですので、体のベースづくりが主な練習で、現役の選手時代は1日に約6〜8時間を練習に充てていました。長いときは、自転車を100~150㎞乗った後に、ランニングを1~2時間やります。
今は、世界選手権の予選レースに向けて特にスピードをつけるための練習に取り組んでいます。瞬発力の筋肉はトレーニングしないと簡単に衰えますし、長く走る競技でも体のキレがないと世界のスピードにはついていけません。そんな練習のときにも粉飴は役立っています。

普段の練習でも粉飴を使われていますか?

普段の練習中でも粉飴を使っていますね。レースまでいかなくても、週末のトレーニングでもしっかりとした栄養補給の準備が必要です。私は、週末ごとに約250gの粉飴を使っているので、1ヵ月に約1kgを使っていることになりますね。粉飴は価格が手ごろで、気兼ねなくたくさん使えるのも良い点だと思います。たくさん使えるから、栄養補給を心配せずに練習の強度も上げやすいのです。
練習の途中でお腹が空いてコンビニに行く回数も減って、練習に集中し続けることができるようになりました。粉飴は調理の手間もないですし、必要なカロリーの量を自分で調節できるのがいいですよね。

粉飴を使うようになって変わったことは何ですか。

トライアスロンは、ほかの競技よりエネルギー補給の回数が多く、またそれが重要な競技です。以前は、レースの直前に炭水化物でエネルギーを蓄積するカーボローディングをしていました。そうやってグリコーゲンを空っぽにすると、集中力が下がりやすくなります。その結果捻挫をしたり自転車で転倒するリスクもありました。しかしこの粉飴で栄養補給ができるようになってからは、日常生活と違う食事をレース前に無理にとらなくてもよくなりました。それは肉体的にとても良いことです。また、レースのときに粉飴などでいい形でエネルギー補給ができることによって安心感が生まれ、食事に対するストレスもなくなり、良い状態でレースにのぞめるようになりますから、精神的にも良いことだと思います。

一般の人たちにとっても糖質のエネルギー補給は重要

今は多くの方が健康増進やダイエットのために、マラソンやトライアスロンをされています。そういう方たちにも栄養学は必要ですか。

私は一般社会人の方のためのスクールで、これから大会にデビューを目指す方から、年代別で日本の代表になる方まで、年代もレベルもさまざまな方たちを指導しています。
オリンピックで採用されているスタンダード・ディスタンス(水泳1500m、自転車40km、ラン10km)という距離では、初心者の方でも3時間以上動き続けて、約1500キロカロリーのエネルギーを消費します。ですから、タイムを上げるためにも、体のためにも栄養補給の方法や栄養に関する知識を持っているほうがはるかに有利でしょう。

一般のトライアスリートにどのような栄養指導をしていますか。

スタンダード・ディスタンスで消費する1500キロカロリー程度ですと、備蓄している体内エネルギーと水だけでもつ人もいます。ですから、レース中に使用する粉飴は、私のように濃く溶かすのではなく、さらっと飲める程度の量がおすすめです。しかし、バイクに乗っている間にカロリーをとっておかないと、ランのパートでエネルギー不足を起こして体が動かなくなるハンガーノック状態になりやすいんです。ですから、バイクの後半は糖質を中心としたエネルギー補給を意識的に行うように指導しています。
また、最近はダイエットのために炭水化物を抜く人がよくいますが、炭水化物を抜くと全身運動を長時間続けるトレーニング後に体が回復しきれません。糖が不足していると脳の働きが悪くなって仕事中もフラフラしてしまうこともあります。それでは良い練習も良い仕事もできなくなりますから、少なくとも朝と昼はしっかりと食べるようにとお話ししています。

糖質の重要性を知らない方が多いようですが、どうお考えですか。

かつての練習中は水を飲むなという時代に比べると、プロテインやアミノ酸の普及など、栄養の知識は広まっているのではないでしょうか。でも、糖質に関しては誤解している方がたくさんいらっしゃいます。大切な筋肉を落とさないためにも、高齢の方ほど糖質をしっかり摂る必要があるという考え方がなかなか浸透していないですね。年齢とともに消化機能も落ちますし、エネルギーを使ったあとはしっかりと補給してあげることが必要です。今後もレポートやホームページなどで発信を続け、多くの方に糖質の重要性を知ってほしいと思います。

インタビュー:トライアスロン安田 光司 様

厚生労働省認定 健康運動指導士

東京アスレティッククラブに所属し、現在は公共スポーツ施設の館長として地域の皆さんの健康のために、日夜トレーニングを丁寧に指導されている安田光司さん。
安田光司さんは、忙しい仕事の傍ら、自らもトライアスリートとして、全国で開催されるトライアスロンの大会に参加されるアイアンマンでもいらっしゃいます。
トライアスロン歴30年。参加したレースは97レース!
3年ほど前から、大会やトレーニング時のエネルギー源として、粉飴(マルトデキストリン)を愛用されており、トライアスリートとして、どのようにエネルギーを補給していくべきなのか、お話しを伺いました。

粉飴(マルトデキストリン)を現在お使いになっていますが、なぜ粉飴を使おうと思われたのでしょうか?

レースやトレーニング中のエネルギー補給に優れているマルトデキストリンが主成分の製品を探していて、粉飴(マルトデキストリン)にたどり着きました。
粉飴(マルトデキストリン)は吸収も良く消化器への負担も少ない上に自分の好みで濃さも味も調節可能なのでとても使い勝手が良い所です。そして何よりも安い! これ、とても重要です。
主に休日、長時間のトレーニングの時に使っています。例えば自転車で100キロ走るとするとだいたい3時間少々、その後に10kmから20kmのランニング。ロングになると、150キロから180キロ程度走りますから、5時間~6時間くらいかかります。そうすると、どうしてもエネルギー不足になるため途中で補給をしないとハンガーノック、いわゆるガス欠になってしまいます。ハンガーノックになってしまうと、もうトレーニングどころではなくなります。市販のジェルやバー(固形物)等はトレーニングで使用するにはコスト高。途中にコンビニ等で補給すれば良いのですが、トレーニング中はあまり止まりたくないので手軽に必要量を補給できる粉飴(マルトデキストリン)はとても重宝しています。

補給の重要性を思い知らされたのは初めてトライアスロンの競技に出場した時の事です。
昔、昔の1987年千葉県で開催された第1回 日本エアロビクスセンターでの大会でした。
学生時代は器械体操を行っていたので体力には多少自信があったのもあって、今の身体(体力)でどれくらいできるのだろうと思い、あえて一切練習せずに出場しました。距離は現在のオリンピックディスタンス(水泳1500m→自転車40km→ランニング10km)のレースです。そして、まんまとハンガーノック。ガス欠です。真夏のレースにもかかわらず、ランニング5キロ地点くらいで寒気がして、耳鳴りがして、冷や汗かいて、視界がだんだん狭く、暗くなってきました。
「これはやばい!ガス欠だ」と思って、フラフラになりながらエイドステーションにたどり着きます。当時のエイドでの補給食は栄養食品、バナナ他、数種類。とりあえずバナナと栄養食品を口の中に突っ込み、水で流し込んでトボトボ歩きだしたら、しばらくするとだんだん体温が上がって視界もだんだん広がってクリアになってくるんです。職業柄、そういう事は知識としては知っていましたが、実体験として経験できたのは良かったですね。でも、これを最初で最後にしようとは思いましたけど(笑)。

どのようにして摂取されているのですか? また、摂る目安があれば教えてください。

たいして速くも無いのに偉そうに言うのは恐縮ですが、私の場合、BIKEボトル2/3程度を500kcalから750kcal分の粉飴を水に溶かして、1/3程度を100%のフルーツジュースを足して飲むのが通常です。アップルやオレンジを加えると美味しく飲めます。それに少しクエン酸を入れています。クエン酸は疲労回復にも良く、口当たりもサッパリします。麦茶なんかも良いですよ。その日の気分で味を変えています。夏場の発汗量が多い時には「塩」も入れます。 もちろん水分も別に摂ります。

摂取量は、30分あたり120kcal程度を目処にしています。体重等にもよりますが、身体が吸収できるカロリーは1時間あたり240~300kcal程度。吸収できるカロリーの量がその間ですから、それ以上を摂取してしまうと摂り過ぎになりますし、一度に摂ろうとすると胃が拒絶して気持ち悪くなってしまって戻してしまう事もあります。
長時間走り続けるには補給が必要不可欠なので30分あたり120〜150kcalぐらいを、その時のタイミング(コースなどの影響)にもよりますが、30分に一気ではなく、少しずつ補給しています。

今トレーニングを一般の方々にも教えられています。その方々でもこのような糖分を摂る、エネルギー補給をすることは有効ですか。

有効です。今はダイエットが盛んなので、摂らないことばかり気にしている人もいますが、どんな方でも運動後のたんぱく質・糖質の補給は身体にとってとても重要です。使った分は摂らないと身体はどんどん疲労してしまいます。疲労したままにしておくのは、決して身体には良くありません。疲労からいかに早く回復させるかも次のトレーニングに向けた重要な部分です。もちろん仕事にも。

粉飴(マルトデキストリン)を使われて始めてから、以前とは何か変化はありましたか。

粉飴(マルトデキストリン)は液体にして摂ることができますから消化吸収が早く、運動中に摂る場合は、固形物を摂るよりもはるかに胃腸には優しいです。すぐにエネルギーになって集中したトレーニングが可能になりました。
砂糖など二糖類や単糖類が多く入った糖質を多く摂ると急激に血糖値が上がります。血糖値が急激に上がると身体はインスリンを分泌して血糖値を下げる働きをします。それをインスリンショックと言いますが、血糖値が乱高下するんです。摂った後には血糖値が上がるから良いのですが、その後に血糖値が下がると疲労感が襲ってきてパフォーマンスの低下を招いてしまいます。しかし、粉飴(マルトデキストリン)にはそれがありません。きちんと計画的に摂取する事で走りに集中できて空腹感や胃の不快感も感じずにBIKE→RUNをこなす事が出来ました。
固形物の運動中のエネルギー補給食品というものもたくさん出ています。これは本当に好みが分かれるところではありますが、真夏のレースの炎天下の中では、BIKE→RUNで走っている時には咀嚼してのみ込む動作すら面倒になってくるんです。ハアハアしている状態の時にモグモグして飲み込むのは、苦しくて私には無理です。
同じカロリーを摂るのであれば、液体になっていて消化吸収が早いものを摂った方が良いと思います。ただ、選手によっては腹持ちの良い固形物も食べたい方や自分なりのパワーフード(レース中のお楽しみフード)がある方もいらっしゃいますから、それはそれで気分転換も含めて重要だったりします。

取り方もテクニックの一つということですね。

とても重要です。水分やエネルギーが足りなくなってから慌てて一気に過剰摂取しても手遅れです。トップレベルのプロ選手でも、補給の失敗というのはよくある事です。
調子が良い時ほど集中できてしまうので、摂るのを忘れたりします。我々一般選手でもそうです。調子が良いと集中してしまうので、時間経過の感覚が鈍くなってしまうんです。「あ!摂るの忘れた!」となってそこで焦って取り損ねた分まで摂っちゃうと、過剰摂取となって胃が無理だよ~!って悲鳴をあげてしまいます。トライアスロン等、長時間に及ぶレースでの補給に係るトラブルはむしろ不足よりも用心するあまりに水分、エネルギーの過剰摂取(一時的な過剰摂取も含む)で失敗するパターンの方が多いように思います。

今のお話を聞いていると、トライアスロンなどの激しいスポーツに粉飴(マルトデキストリン)は必須アイテムですね。

必須です。とても重要です。特にミドルやロングのレースに出るのに、補給食を持たないで出る人は一人もいません。ロングの試合となると、BIKEではボトルに。RUNではフラスク(携帯用のボトル)にゲル状にした粉飴を入れて携帯しています。私はBIKE・RUNのトータルで3000kcal+αのエネルギー補給の準備をします。
粉飴(マルトデキストリン)は自分の好みに合わせて濃さも味も調節できます。我々トライアスリートにとっては非常に使い勝手が良い商品です。
さらに粉飴(マルトデキストリン)は他の製品よりも圧倒的に安い。安いから通常のトレーニングでも使う事が出来ます。トレーニングで日常的に使っていれば自分の身体にとっての適量を知る事が出来ます。適量を知ればレース中の補給ミス(過不足)のリスクを減らす事が出来ます。これ、とても重要です。 これからも夜な夜な粉飴ドリンク作りに精を出して「楽し苦」走る事ができるように次のレースに向けて修行を重ねます。