篠原知美のアスリート対談第4回 ビースト村山 様

自ら見本となり、 一人一人に合わせたボディメイクをご提案するのがパーソナルトレーナーの仕事です

ボディビル、ベンチプレスで身体づくり

篠原
村山さんは、たくさんの方々のトレーナーをされていますね。
村山
渋谷区神宮前でパーソナルスタジオRevon24を経営しており、タレントの方、グラビアの方などサポートさせていただいています。私はトレーナーなので、見本になるべく、身体づくりとしてボディビルとベンチプレスの大会に出ています。
篠原
ベンチプレスとはどのような競技なのでしょうか。
村山
ベンチプレスはパワーリフティングの3種目の一つで、ベンチプレスのみで行うシングルベンチの大会もあります。ベンチの上に横になってバーベルを胸につけて持ち上げ、挙上重量を競います。パラリンピック⼤会の種⽬としても正式採択されているスポーツです。パワーリフティングの3種目には、ベンチプレスのほかにデッドリフト(床に置いてあるバーベルを引き上げる)とスクワット(バーベルを肩に担ぎ屈伸を行う)があります。よく混同されるのですが、バーベルを重量に上げるウェイトリフティングとは異なる競技です。
ベンチプレスの大会は第3試技まであり、重さをどんどん積んでいきます。一発勝負の面白さがあるので、競技としてすごく好きですね。体重比で一番重いものを持ち上げた人が、オーバーオールといわれるトータル優勝をします。ですから、軽い選手でも総合優勝を取れるケースもあります。

篠原
大会に向けてはどのような準備をするのですか。当日のアップなど、トライアスロンであれば想像できるのですが。
村山
大会に向けてはかなり綿密に準備します。筋肥大期、筋力アップ期、パワー期、メンテナンス期というサイクルで、時期によって微調整しながらやっていきます。当日のアップも大会を想定した練習をして、それをそのままやるような感じです。ベンチプレスでは当日計量を行ってから2時間後が試合と決まっていますから、逆算して分単位でアップして、ピークを第1試技に持っていくようにします。第1試技に合わせるのは、最初にしくじってしまうと全プランが崩れてしまうからです。第1試技は必ず上がる重量にして、第2試技は自己ベスト、第3試技はチャレンジというのがベーシックな流れです。
ベンチプレスは駆け引きの競技でもあります。自分の順番の何人前まで変更ができると決まっているので、相手の設定を見て重量を決めます。例えば、私が150キロで相手が152.5キロと競ってきたとき、次、152.5キロで合わせるのか、155キロでかぶせるのか、相手がギリギリだと見越して、次に備えてあえてそのままいくのか。というような駆け引きがあります。
篠原
計量が済んだ後、試技までの補給ではどんなものを取るのでしょうか。
村山
計量後は体重を増やしても大丈夫なので、階級がギリギリの時にはかなり頑張って補給します。私は74キロ級か83キロ級で出るのですが、74キロ級のときにはかなり絞っているので、単糖類から取り始めてクレアチン、糖質だけだとパワーが出ないので、牛肉や鶏肉といったタンパク質もしっかり取ります。水も取るので、試技までの2時間で体重は1.5キロくらい変わるのではないでしょうか。適正体重で減量がないときには、そこまで無理はしません。
補給は、MD(マルトデキストリン)やCD(クラスターデキストリン)、バナナなど、吸収が早い単糖類から順に取っていきます。固形物も取ります。最初はサプリメント系から入って、だんだんと重い固形物にします。

自らが見本となる指導者になりたい

篠原
パーソナルトレーナーになったきっかけは何だったのでしょうか。

村山
私はもともといじめられっ子で身体が弱かったので、自分自身に対しても自信がなく、すべてが嫌になってしまっているような子どもでした。そんな時にプロレスラーの小橋建太さんの試合を見て強く感銘を受け、格闘技を始めようと思ったんです。中学2年生でプロレスラーになろうと決めて、高校3年生でプロテストを受けて合格し、全日本プロレスに入団しました。ところが、入るためにずっと努力し続けてきたにもかかわらず、自分のモチベーションコントロールができずに燃え尽きて、入ってすぐに辞めてしまいました。
私は大道塾という総合格闘技の道場にいたのですが、そこでは、基本稽古でも、先輩が自分たちでまず見せるのです。私も、指導者になったらまず自分がやって見せようと、それが正しい指導者だと思うようになりました。
私のトレーナーとしてのキャリアが始まったのは21歳のときです。ところが、やりたいことが見つかって楽しかった矢先に交通事故に遭い、1年仕事を休まなければならなくなってしまいました。ようやく戻ってきてトレーナー業を始めたときは、動作的な、動くためのトレーニングの需要は世の中的にはまだ低かった頃です。今でこそクロスフィットという言葉がありますが、当時は名前もありません。ジムで一番需要があるのはやはりダイエットで、お客様の要望も格好いいボディを作ることに偏るので、その知識と経験が必要になり、それでどんどんそちらに特化していくようになりました。ですから、ボディビルは好きで始めたわけではなく、その知識をつけるために始めたのです。私は格闘技畑にいたので、当時はボディビルに対してどちらかというと批判的でした。意味がわからなかったですね(笑)。ただ、交通事故の影響で膝の靱帯を3本切ってしまい、ドクターストップもかかっていたので、それならトレーナーの仕事として役立つダイエットのプロフェッショナルになろうと思いました。ボディビルというものが自分のスキルとして必要だったのです。
篠原
バズーカ岡田さんも「ボディビルダーに学べ」とおっしゃっていますよね。
村山
体脂肪コントロールという意味では、ボディビルはやはり強いですね。ボクシングなどが代表例となりますが昔は軽量級でないと世界に挑戦できないという時代背景があり、脂肪、筋肉、水分を落とす無茶な減量をしていました。今は、重要な筋肉や体水分量を極端に落として身体を作っていくようなやり方で勝てる時代ではなくなってきています。いかにコンディション良く、パワーを落とさずしっかりと脂肪を削り、そのために日頃のコントロールをどこまでやっていくか、よりプロフェッショナルが求められているのです。
正直言うと、昔は、オフはどうでもいいと思っていました。気は抜くし、好きなものを食べていましたが、だんだんそういった考えも薄れてきて、今ではお酒を飲む量も減りました。忙しくなって、トレーニングができる時間も限られてきて、そこに集中したいという気持ちがあるからです。お酒を飲んでコンディションが悪かったりすると、ただでさえ時間を取るのに苦労しているのに、さらにパフォーマンスが下がってしまいます。

篠原
パーソナルスタジオに行ったことがない方は、敷居が高いように感じるかもしれません。運動していない人、運動が苦手な人が行っても大丈夫でしょうか。
村山
まったく心配することはありません。私が経営しているパーソナルトレーニングスタジオRevon24には、一般の方も多くいらっしゃいます。男女比では7:3で女性が多いですね。ダイエットしてもリバウンドしてしまう、なかなか痩せられない、今まで運動したことがない、しゃがんだら自分で立てないという人もいらっしゃいますが、まったく問題ありません。駆け込み寺的な感じです。ヘルニア、ストレートネック、糖尿病などの持病がある方もよくいらっしゃいます。
私たちの業界は、教科書を見てどうにかなるものではありません。私自身、科学的なエビデンスはとても重要だと思っています。しかし、それが全ての人に当てはまるかどうかはわかりません。どれだけ多くのケースを自分で経験しているか、自分自身で実験しているかが最大の武器になります。けっきょく教えられたことだけでやろうとすると、マニュアル外のケースが必ず出るので対応できないのです。なぜこんなに摂取カロリーを落としているのに体重が落ちないのだろう、どうしてこの人は真面目にやっているのに変化がないのだろうということが多々あります。
篠原
今後事業でやってみたいことはありますか。
村山
チャレンジしたいことはたくさんあります。その一つとして、今私が生まれ育った宮城でのジムに着手しています。大型ジムの経験は私にとって必ず達成したい事業の一つです。もう一つは、人材の育成に力を入れています。きちんと勉強して、きちんと独立するためのプログラムを作っているところです。近年フィットネス業界が拡大傾向にあり、パーソナルトレーナーが急激に増えました。その為か、知識も経験もないのにすぐに独立したがるトレーナーが増えました。夢や目標を持つことは素晴らしい事ですが、その為準備しなければいけない事が沢山あるのでそれを伝えていきたいですね。事業としては、まずこの二つをやっていきたいですね。

ボディメイクでは食べても太らない身体を目指す

篠原
読者の方にボディメイクのヒントを教えていただけますか。

村山
短期的なダイエットは、落として終わりという方が多いのですが、落としたところからようやく始まります。そこで終わりにしてしまうと、元の生活に戻れば当然元の体重に戻りますから、そこがゴールではないのです。落とし方にもいろいろあって、正しい落とし方をしなければなりません。さらに、落としたところから少しずつ食事量を増やしていって、食べても太らない身体を作るのが理想です。そこに向けてようやく身体作りが始まります。
私のお客様で45歳の女性の方が、最初は1300キロカロリーでダイエットを始めたのですが、今では2000キロカロリー食べています。それでも体重は増えません。運動量は変わっていませんが、代謝も体温も上がっていますし、筋力もつきました。ただし、筋肉が私たちのように目に見えて増えるわけではありません。変わったのは体温と食生活で、食べられるカロリー量がどんどん増えています。ただし、そこまでいくのは時間がかかりますし、トレーニングが必須です。
実は、よく考えたら、それって実は燃費の悪い身体です(笑)。本来人間は、燃費が悪すぎると生きていくことができません。燃費の良い身体というのは、人間が生まれ持った本能的な作用です。そこを外していくわけですから、計算して綿密にやらないとそこまで持っていけません。その女性は週1回のトレーニングで1.5カ月くらいかけて体重を落として、そこから1.5カ月くらいで徐々にそこまで持っていきました。ですから、普通の方よりも時間がかかっています。
篠原
ボディメイクはトレーニングと食事ということですね。
村山
私のお客様には、まめにメールで食事を送ってもらいます。それを管理されていると思う方もいますが、違います。たしかに管理という面もありますが、朝の体重、朝の体温、1日何を食べたかの情報がないと、私自身が次の手段を変えられないのです。
食事の中でもサプリメンテーションだったり、単純に水を飲む量だったり、糖質を取る時期・取らない時期、タンパク質を何グラムでいくのか、ここからは糖質を1回抜いていきましょう、ここからは何グラム摂っていきましょうなど、厳密にプランニングします。それだけでは辛いので、旅行の時には好きに食べるなど息抜きも交えています。結果が出て、変わってくると自分も嬉しくなり、だんだん苦ではなくなってくるのです。
篠原
ボディメイクはどのようなアプローチで進めるのですか。
村山
ボディメイクではパーツごとにしっかり筋肉を作っていきます。この時、解剖学が非常に役立ちます。例えば、三角筋という筋肉は、フロントヘッド、サイドヘッド、リアヘッドという三つに分かれる、上半身で一番体積が大きい強い筋肉です。せり出しを出すのであればサイドヘッド、前からの見栄えを作るのであればフロントヘッドと、そういったことを考えながらトレーニングをしていきます。フロントヘッドは内旋の動きと屈曲の動きができるので、それでどのようなトレーニングができるかを考えます。
アスリートだと肩関節の怪我が多いのですが、内旋の作用のトレーニングが多いことも原因の一つなので、逆に外旋を入れてあげることによって、肩の衝突を防ぐことができます。それには、棘上筋や肩甲下筋といったインナーマッスルが必要です。ですから、やみくもにやっても意味がなく、トレーニングをする人に合わせて構成しなければならないのです。
篠原
今、トレーニングをする方が増えているように感じます。モデルさんもただ痩せているだけではだめで、きれいに筋肉もついた美しさが求められるようになってきました。みんな、格好いい体に憧れるのでしょうね。これから格好良い日本人をたくさん作っていただきたいです。本日はありがとうございました。

篠原知美のアスリート対談第3回 巖淵知乃 様

子どもはすべてにおいてエネルギー源。
ママアスリートとして、未来の子どもたちのために走りたい

妊娠中も走り続けることで健康を維持

篠原
知乃選手は、西村さんから巖淵さんにお名前を変えられて、今年からはプロとしてもご活躍中です。まずはトライアスロンの出会いからお話いただけますか。
巖淵
中学、高校は水泳部でした。大学ではフットサルをやったり、1年間の留学中に水中ホッケーというスポーツをやったりしていました。トライアスロンを知ったのは、中学3年生の頃に見たオリンピックがきっかけです。もともと走ることが好きで、学校の持久走大会も得意だったので、興味をひかれて、大学に入ったらやりたいと思っていました。ところが、入った大学はトライアスロンをやるような環境ではなかったため、始めたのは社会人になってからです。就職した会社の先輩がトライアスロンをやっていたので、「私もやりたかったんです」とお話し、そこからコミュニティを紹介してもらいました。社会人1年目にロードバイクを買って、2年目からトライアスロンを始めました。その年に初めて出たアイアンマン北海道でエイジ優勝し、コナの出場権を獲得しました。それからトライアスロンにはまって、エイジの中でのトップを目指してきました。2018年に娘を出産したのですが、産後に復帰するため、妊娠中もトレーニングを続けて今に至ります。
篠原
その様子をブログで読みました。子育て真っ最中は時間も限られてしまうし、体力ももたないと思っていたので、知乃選手が妊娠中に走っているのを知って本当に驚きました。自分の妊娠時を考えると、動くのも大変でしたから。欧米では、妊婦さんでもきちんと管理して無理しない範囲で身体を動かしますが、日本だと妊婦は走っちゃいけないという雰囲気ですよね。
巖淵
妊娠32週頃まで走っていました。最後に走ったのは5月に出たハーフマラソンで、走り終わった後に恥骨部分に違和感が出たので、もう走るのは負担が大きいなと感じて控えるようにしました。その分、スイムやバイクはギリギリまでやっていました。実際、子どもが生まれる前日もスイムをしていて、スイム後に陣痛が来たのを覚えています(笑)自分の身体なので、まずは自分の身体と対話しながら、感覚を大切にしながら運動することを心がけていました。また、科学的な視点からもしっかり管理していただいていました。国立スポーツ科学センター(JISS)がやっている、女性アスリートの産前から産後にかけての競技復帰をサポートしてくれるプログラムに参加させていただいていました。それに、レースも練習も基本的にはゆっくり気持ちよいペースで行うことを第一に心がけていました。今までスポーツを続けてきた人は、健康維持のためにもある程度やったほうがいいと言われています。
篠原
産後はどのくらいで復帰したのですか。
巖淵
産後2週間後くらいから、少し走って歩く、を繰り返すところから始めました。バイクは1カ月後くらいです。また、JISSでは、骨盤や筋断面、骨盤底筋群の評価、骨密度検査、血液検査等をしてもらえたので、問題がないことを確認できたのも良かったです。
篠原
これから出産されるアスリートにとっては希望の星ですね。私もやればよかったです(笑)。でも、そのためにはきちんと管理することが重要ですよね。一般的に産後は、母親は動いてはいけないといわれていますし、私も産後に動いて大出血してしまった経験があります。ですから、一般の方であれば、まずは理解のある産婦人科の先生やホームドクターに出会うことが大事です。最近はアスリート外来もできてきて、一般の人でも受けることができます。
巖淵
あとは、自分の身体のことですので、自身の感覚を大切にすることも重要だと思います。
篠原
マタニティビクスなどもありますし、運動を全部やめると太ってしまいます。下の子はアメリカで出産したのですが、運動がだめだとは言われませんでした。知乃選手のお話を聞いて、全員ができることではないと思いますが、ちゃんとやればできるのだと思いました。

食べ物が自分の身体を作っている

篠原
妊娠中の食事はどのようなことに気をつけていましたか。
巖淵
妊娠期間のフェーズによって体調も変わりました。つわりの時期は胃もたれしてしまってあまり食べられず、辛くて運動もできませんでした。安定期に入ると運動ができるようになりました。食べ物については妊娠前から気を遣っています。普段から玄米や豆類を取り、どちらかというと魚のほうが好きなので、肉はあまり取りません。ただ、肉をまったく取らないというわけではなく、(夫は肉が好きなので)肉料理も作っています。
私はもともとアレルギー体質で、小さい頃は給食が食べられずにお弁当を持って行っていました。今でも食生活が乱れると皮膚の弱い部分がただれることがあります。ですから、食に対するアンテナは高いほうだと思います。買うときには必ず原材料をチェックして、添加物や化学調味料があまり入っていないものを選んだり、調味料も良いものを使うようにしています。私はあまり余計な物にお金を使わないのですが、そういうところは自分の身体を作るものなので、良いものを食べるようにしています(笑)。
篠原
私はベジタリアンで、お魚は加熱したものは食べられるのですが、生は一切食べません。タンパク質は加熱した一部のお魚、豆類、卵や乳製品です。アレルギーをお持ちのアスリートの方は、食べられないもの代わりになるもので、自分の身体に合うものがあればそれでいいのです。これを食べなきゃいけないというものはありません。
巖淵
私の場合、何が原因なのかわかっていないんです。小さい頃はアレルギー源となるような卵などを食べないようにして、白米ではなく粟やきびを取っていました。ある日白いご飯が出たときに、すごく感動したのを鮮明に覚えています。私は4人兄弟で上に兄が二人いるのですが、二人ともアレルギー体質で、母が気を遣って食事を作ってくれていました。なので、私にとって食べ物に気を遣うのは普通のことなのです。
篠原
レースではどうしていますか。
巖淵
海外のレースが多いので、調味料やお米を持っていって、野菜などは現地で買って、自分で作っています。海外でも、調味料を持っていくので普段とそこまで変わらないですね。
篠原
食事を管理する方はついていらっしゃるのですか。
巖淵
厳密にはやっていませんが、たまにJISSでの食事調査や血液検査を受けて、何が足りないか指導をしていただいています。子どもが生まれたばかりの頃は授乳で寝られず、寝ても練習の疲労がとれませんでした。産後7カ月のとき、アイアンマンニュージーランドでレース復帰したのですが、そのときは、着いてからも夜泣きが激しくて寝られなかったですね。レース後にも授乳は続きますし、疲れが全然とれませんでした。
篠原
摂った栄養分もおっぱいで出てしまいます。お母さんとして授乳しながら、育児しながらですから、本当にすごいことです。
巖淵
とにかく自分の体調管理が大変です。早く回復させるためには何を食べればいいのだろうとか、睡眠が一番重要かなとか、いろいろ考えます。

応援してくれる人がいるから走り続けられる
ママアスリートとして子どもたちのためになる活動がしたい

篠原
プロになったのは何かきっかけがあったのですか。
巖淵
アイアンマンのプロ登録には基準があり、日本トライアスロン連合が設定しているタイムを突破しないとプロ登録をすることができません。2019年10月のアイアンマンの世界選手権で、そのタイムを切ることができたのです。こんなチャンスは二度とないかもしれないと思いました。それに、私がトライアスロンを始めてから今まで、本当にいろいろなチーム、いろいろな人にお世話になってきて、家族をはじめ応援してくれている人がいて、プロとしてやって欲しいという皆さんの思いがありました。それで、プロとしてやっていこうと思いました。トライアスロンをやっているのは、応援してくれる人がいるからです。好きという気持ちももちろんありますが、応援してくれる人がいなかったらトライアスロンはやりません。忙しい産後の育児期間中にやる必要はないと思います(笑)。
自分がプロとしてやるにあたって何か貢献できることはないかと考えたとき、自分はママアスリートだということもあるので、未来の子どもたちのためになるような活動がしたいと思いました。それで、レースで得た賞金の一部を寄付することを考えています。私が住んでいる埼玉県富士見市に「子ども未来応援基金」というものがあります。日本の貧困は目に見えないものが多く、そこにいる子ども達の存在をなかなか見えないことが多いです。そのような子ども達のために、NPO法人がやっている子ども食堂や放課後の学童を運営する団体に市が資金援助をしています。先ほどの基金はそのような活動に充てられるものです。自分の住んでいるところですし、まずは身近なところからということで、そこに寄付しようと考えています。
篠原
その記事も読んで驚きました。みんなで応援しています。
巖淵
結果を出さないと、寄付するお金も得られないのですが(笑)。
篠原
今は育休中ということですが、練習と家事と育児はどうされていますか。
巖淵
基本的に夫がいる間に練習します。夫の勤務中はできないのですが、夫が出勤時間を1時間遅らせて育児時間を取ってくれているので、朝と夜にやっています。
篠原
ブログの管理もご主人が担当されていますよね。さらにご主人自らも素晴らしい選手で、まさにアスリートのモデルケースのようなご夫婦です。最後に今後の目標をお聞かせください。
巖淵
今は、5月にあるアイアンマンオーストラリアを目指して練習しています。世界選手権は、今年目指すのは早いと思っています。世界選手権にプロで出ようと思うと、女子のプロだとだいたい9時間前後で走らないと厳しいです。今のベストタイムから最低でも1時間弱は縮めないといけません。自分のレベル的にまだ厳しいので、そんな高みを目指すのではなく、まずはプロカテゴリーでしっかりとレースをすることを考えています。
篠原
ママアスリートを目指す方にメッセージをお願いします。
巖淵
妊娠出産育児の過程で、競技から距離をとって離れるのではなく、うまく向き合っていくことはできると思います。子どもは自分にとってエネルギー源ですし、すべてにおいてプラスに働いています。レース中は、早く娘に会いたいと思いながら走っていますし、練習効率も格段によくなりました。限られた時間の中でいかに効率よく練習するかを考えることで、練習スタイルも変わり、産後のレースで、ベストタイムで走ることができました。時間制限があって練習メニューを考え直す必要があったからこそ、自分のパフォーマンスを伸ばせたのだと思います。子どもはすべてにおいて私の原動力になっています。毎日可愛い娘の顔を見られて幸せです。
篠原
私も育児を経験して、何か失敗しても取り返せばいい、挽回すればいいと大らかな気持ちを持てるようになり、大変だけどより頑張ろうと思えるようになりました。育児は育自だと、自分が育つことだと思っています。本日はありがとうございました。

篠原知美のアスリート対談第2回 秋葉憲幸 様

仕事、家族、すべてに向き合ってトライアスロンで結果を出す。これは譲れない信条

トライアスロンとの出会い、中断と再開

篠原
今回は、サラリーマンでありながらセミプロ活動をされている、秋葉選手に来ていただきました。トライアスロンを始めたきっかけからお話しいただけますか。
秋葉
小学校6年間はずっと競泳を、中学・高校では陸上、主に駅伝を中心にやっていました。大学1、2年のときは軟派なテニスサークルに入っていたのですが、たまたまトライアスロンの日産カップにいとこが出場して、見に行くことになりました。おそらく、学校に行っていなかった僕に親が業を煮やしたのでしょう。強制的に連れて行かれたのですが、見ると「トライアスロンって面白い!」と思いました。それで大学3年生で始めたというのが経緯です。
2002年には初めてコナに出場し、そこでロングがわりと自分に合っていることに気づいてから、2002年、2003年、2004年と、アイアンマンジャパン、ハワイ、ロングの日本選手権に連続で出ました。ところが2004年10月、3回目のアイアンマン世界選手権が終わった後、トライアスロン鬱のような状態になってしまったのです。あと何をすればいいのか、どういう練習をすればいいのか、何を食べればいいのか、わからなくなってしまいました。情報が氾濫し始めている時代だったので、これ以上何をしてもどうにもならないと、勝手に自分で首を絞めてしまったのかもしれません。10月の大会が終わった瞬間から一気に無気力症候群になって、トライアスロンを辞めてしまいました。そこから6年間、ほぼ1メートルも走ることなく過ごしました。
篠原
トライアスロン鬱というか、トレーニングをしすぎて壊れてしまう人はけっこういますよね。勝たなきゃいけないというプレッシャーがあり、その上にケガをしてしまったり、スポンサーもあるのにどうしようと考えてしまったりなど、期待に応えられないという思いが自分の中で強くなって、無気力になってしまうのかもしれません。

秋葉
走っていなかった6年間は仕事が忙しかったこともあって、走れない物足りなさを感じたり、淋しく思うことはありませんでした。仕事が嫌いではないですし、ある意味で自分の中で消化できていたのだと思います。トライアスロンに対して、愛着も、名残も、思い入れも、実はありませんでした。
篠原
その後、再開されたのは、どのようなきっかけがあったのですか。
秋葉
また始めることになったのは、2010年に今の会社に転職してから、取引先の方がトライアスロンをやりたいとおっしゃったのがきっかけです。石垣島の大会をその方のデビュー戦と定めて、3〜4カ月くらい一緒に練習して、石垣島に行きました。6年間走っていなかったのですが、石垣島を走っているときにやっぱりやって良かったと思いました。またここで頑張ろうと思ったことを覚えています。
篠原
簡単におっしゃいますが、再開するのは並大抵ではなかったと思いますが。
秋葉
再開した2010年、まずは1年間かけて痩せました。ミドルから再開しようと思い、2011年にアイアンマンジャパンのセントレアに出場し、エイジ優勝することができました。その2週間後には佐渡のBタイプがあり、そこでは総合5位に入りました。言い方は悪いですけど、1年でできちゃいました(笑)。それで、ちょっと頑張ってみようと思いました。
2012年には五島に出場して総合5位を取り、エイジの日本代表としてスペインに行かせていただきました。2013年にアイアンマンジャパン北海道で初年度のエイジチャンピオンを取ることができ、2014年にはハワイに出場しました。その時点から、「ずっとハワイに行き続けよう!」となってしまって、2014年、2015年、2016年、2017年、2018年と出場し、今年も行ってきます。国内では、2015年にバラモンキングで総合優勝することができました。2016年には、人生初めてエリートの日本代表としてオクラホマへ行くことになり、自分の中の日本代表として行くという目標を達成しました。

すべてに全力で向き合うことで生まれたトライアスロン哲学

秋葉
今48歳ですが、年齢を重ねると、練習量ではカバーできないことが増えてきます。ですから、効率の良い動きやいわゆる無理、無駄を省くことが重要です。消去法で、結果的に速くなるような効率の良い練習方法を編み出さないといけません。われわれの年代だと、自転車で170キロ走る、ランで30キロ走るような練習はとてもじゃないけど身体が悲鳴を上げて耐えられません。今のフォームを見直し、無駄を省くことに注力したほうが、結果的にはパフォーマンスが維持できます。それを実践してきて今に至るので、あながち間違ってはいないと勝手に思っています。
僕はガーミンも持っていません。190キロバイクに乗るときも、パワーメーターを使わず自分の感覚で走っています。これはすごく大事なことです。自分の感覚を数値で表されてしまうと、それに左右されてしまうからです。今の自分の感覚が、今の自分の実力です。メーターを見て、遅いから速く走ろうと思って走ると、そこで無理が生じます。そのときはそのときで仕方がないという気持ちを持って、あまり数字に惑わされない練習やレース方法があるのではないかと思っています。
篠原
一人で練習されることが多いと聞きますが、それも自分の感覚を大事にするというお考えから生まれているわけですね。
秋葉
誘われれば行くこともありますが、99%一人で練習しています。自分のペースでやることが必要です。実際のレースではほぼ一人で走りますから、これを常に練習でもやっておかないといけないのです。誰もいない中を走るのはすごく辛いことです。仲間と一緒に練習したり、友人関係を尊重することもコミュニティとしてもちろんあっていいと思います。しかし、このエンデュランスポーツにおいて、本当に勝ちたい、もっと順位を上げたいのであれば、それにふさわしい練習を自分で考える必要があると、僕自身は思っています。

篠原
それが結果に表れていますね。
秋葉
仕事もそうですが、われわれの場合は特に結果が大事です。先ほどセミプロとご紹介いただきましたが、自転車メーカー、ウェットスーツ、シューズ、オフィシャルメカニック、ホイール、ボディメンテナンスと、一通り契約させていただいています。当たり前ですが、結果を出さないとシビアな世界です。結果を求められるのであれば、きちんと結果を出さないといけないと思ってやっています。
自分にとって譲れない信念があります。周りから「秋葉は練習ばかりしているんですよ」とか「月1海外で、遠征ばかりしているんですよ」など、冗談でも言われるくらいなら、僕は絶対にトライアスロンはやっていないと思います。言われるつもりはまったくありませんし、今まで言われたこともありません。
仕事はすごく重要ですし、家族も大切です。今は仕事が忙しく、夜に練習できないので朝しかできません。また会社にランニングチームとトライアスロンチームがあり、そのコーチもやっています。朝しか練習できない状況で、フルのアイアンマンの練習をこなすのは難しいことですが、トライアスロンも充実させています。
タイムマネジメントが非常に難しい中ですべてをやっています。仕事をしっかりやるから、そこに時間の隙間を作ることができるのです。家族との時間も取り、すべてに向き合って時間を捻出しています。これはトライアスロンをやるうえでの僕の譲れない信条です。
他の人とは全然違う考えでトライアスロンをやっているのかもしれませんね。
篠原
そうした中で秋葉さん独特のトライアスロン哲学ができたのですね。トライアスリートはストイックな方が多いと思います。ケガしているのに走ったり、痛いけど、でもやってしまう。
秋葉
皆さん、相当無理していますよね。僕も落車していますし、ケガも故障も多いので、やはりみんなが抱えているものなのでしょう。それをどうやって克服して、結果を出していくかだと思います。トライアスロンは究極のエンデュランススポーツです。種目が3種目だったら感動も3倍とよく言われますが、そんな気がします。そう考えると、これを上回る感動はありません。距離が長ければ長いほど達成感が得られるので、どんどん距離が長くなってしまって、それがまた練習量に跳ね返ってくる。練習量が異常に増えすぎてしまうのも、仕方ないですがあり得ることです。だからこそ、どこかでラインを引かないと行き過ぎてしまいます。
篠原
質が良い練習を短時間で行うことが大事なのですね。
秋葉
それが大事だと思っています。トライアスリートは自分を追い込んだり、速く走りたいと思う方が多いようです。そうではなく、7割くらいの力で綺麗なフォームを維持することに注力するのです。水泳では何千回転も肩を回しますし、自転車でも何万回転もさせるわけですし、ランに至っては、1歩1メートルでも4万2000歩走るわけです。一かき、一回転、一歩の積み重ねで、負担はどんどん増えていきます。だから、その一かき、一回転、一歩を大事にしたほうがいい。たしかに、追い込むと達成感がありますから、やり切ってしまうのでしょう。しかし、僕はいつも食事で言う腹八分のような感じで終わらせて、きちんと次に繋がるようにしています。完全に出し切ってしまうと、続かないどころか故障に繋がってしまうので、長くやるのであればそういった練習も重要だと思います。

二人三脚で奥様が食事をサポート

篠原
奥様が食事の管理をなさっているとお聞きしました。
秋葉
食事はすごく重要です。そう考えるようになったのは、2013年にヘルニアになったのがきっかけです。当時は暴飲暴食をして、食べるものをそれほど気にしていませんでした。ヘルニアを機に、妻が普段の生活を厳しく見直して、食事もゼロから変えることにしました。僕の体調を聞いて、それに対して出てくる食事が変わってくるので、僕は食べるだけです。それを食べることに関しては、僕も100%同意しています。
篠原
普段の食事ではどのようなことに気を付けていますか。
秋葉
基本的には、妻が出してくれるものを全部食べるようにしています。篠原さんはご存知だと思いますが、「まごわやさしい(ま:豆、ご:ごま、わ:わかめ、や:野菜、さ:魚、し:椎茸、い:芋)」は必ず1品出てきます。会社でのおやつも考えてくれて、みんなからはウサギの餌だと言われていますが(笑)、ナッツ、ひまわりの種、クコの実などを食べています。腸内環境が悪くなるとパフォーマンスが下がってしまうので、とにかく腸内環境を良くするよう心掛けています。油の吸収がよくないこともコンディションに影響するので、オメガ3系脂肪酸を含むアマニ油、エゴマ油など、極力身体によい油をセーフティーに取るようにしています。ターメリック、オレガノは抗炎症、抗酸化を促し、お酢も善玉菌を増やしてくれます。ねばねば系の食物は身体の中の吸収を良くしますし、畑のレモンのカリフラワー、森のバターのアボカド、飲む点滴のビーツもよく出てきます。
また、普段は糖質をあまり取らないので、ランチはサラダランチが多いのですが、野菜だけではなく中にシラスや鶏のささみなどいろいろ入っています。山盛りのサラダなのでお腹いっぱいになります。試合の1週間前には砂糖を抜き、乳製品、カフェイン、グルテン、アルコールも抜いて、悪玉菌を増やすものはすべて摂取しません。
最近は年も取ってきたので、どういうものを取ると疲労回復に繋がるか、レース前に何を食べれば僕のパワーアップに繋がるか、経験値である程度肉付けして、だいたいメニューが決まってきています。それをきちんと取ればいいだけです。今結果が出ているので、それは間違いではなかったと思っています。
篠原
奥様すごいです。好成績の半分は奥様の功績ですね。これだけするのはすごく大変ですし、秋葉さんがきちんと食べるのもまたすごいことです。
秋葉
制限なく食べたいという気持ちもあります。それで、レースが終わった後の週はハッピーウィークと決めて、その間は好きなものを食べていいことにしています。前回はハッピーウィークで絶対に食べられないラーメンを食べました(笑)。一週間経ったら終わりで、そこから徹底的に食事をコントロールします。
篠原
レースでの補給も奥様が準備するのですか。
秋葉
レースで飲むドリンクも妻が作ってくれます。水、レモン、塩一つまみ、甜菜糖を入れて、身体の水分と同じ配分にしたドリンクです。これがレース前は全然美味しくないのですが、レース中にはびっくりするくらい美味しく感じます。今回のインタビューを知って、妻がどうやって粉飴を混ぜたらいいのかアドバイスがほしいと聞きたがっていました。
篠原
皆さんそれぞれです。市販のスポーツドリンクに粉飴を入れてカロリーを増やして飲む方や、水に粉飴を溶かしてクエン酸や塩と混ぜたり、脚つり防止のためにマグネシウム系のものも足して自作のスポーツドリンクを作る方など。粉飴は甘みが少なく味も薄く、それだけだと飽きてしまうので、何種類かのジュースで割って味を変える方もいるようですね。粉飴は甘さを抑えつつカロリーが取れるので、他の海外メーカーのものより飲みやすいようです。海外のものだと甘さで胃をやられてしまうのに、粉飴だったら大丈夫という話もよく聞きます。
秋葉
皆さん工夫しているのですね。僕も脱水になってしまったことがあるので、補給の大切さは実感しています。胃腸を強くしたり、整えることも大事です。前からわかっていたつもりですが、このスポーツは胃腸が強くないと勝てないのだと、最近さらに思うようになりました。

篠原
最後に今後の目標をお願いします。
秋葉
コナは9回目になるのですが、そろそろ表彰台を目指さなければと思っています。ですから、ハワイでエイジの表彰台に上がることが一つの高い目標です。世界戦に出ると、ヨーロッパの選手がパソコン一つで1週間仕事を休んで参加していたりします。そういう人たちと世界で戦うのだから、日本人は辛いですよね。でも、それを言ったらキリがない。時間がないことに文句を言って、爪を噛んでいても仕方ない話です。それはそれで、同じスタートに立つものとして、勝ちに行くつもりで戦わないといけません。また同じ気持ちでスタートに立てるようにしたいと思っています。
もう一つは国内での総合優勝です。いわゆる国内のメジャーなロングである佐渡、五島、宮古島は、優勝しておきたいレースの中でも重要な位置を占めています。特に佐渡は、去年5位、今年も5位でなかなか優勝できません。総合の中では僕が一番最年長なので、かなり厳しい状況にあると思いつつ、それでもこの夢は捨てられません。来年こそ、佐渡での優勝を果たしたいと思っています。
篠原
秋葉さんが仕事もトライアスロンもすべて全力で取り組まれているのは、本当に見事です。これからのご活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

篠原知美のアスリート対談第1回 山本淳一 様

長く続けている人ほど食事に気を遣うし、身体の変化にも敏感

走れるコーチを目指す

篠原
今日はトライアスロンの現役選手でありながら、コーチも行われている山本さんにお話を伺います。選手とコーチではやることがかなり違うと思いますが。
山本
競技デビューしたのが20歳、今年でちょうど25周年になります。10年くらい前にコーチングを始めて、2009年に一線をいったん退きました。今はコーチングがメインですが、3年くらい前に本格的に競技に復帰しました。コーチングは熱が入れば入るほど感情移入もしますし、言葉もどんどんきつくなります。求めるもの、要求が高くなっていきますので、自分自身がやらないと、自分の中で温度差がすごく出てしまいます。

それなら、一緒にやっていれば誰からも文句は言われないだろうと思いました。「この1本をマックスでいきましょう」と言って、自分が先頭で、マックスで走っていれば、否が応でも追うものです。雨の日にバイクに乗るとき、「こんな日に走らなきゃいけないの?」「雨でも乗るの?」と言われたとき、「雨でもレースはあるので」と自分が先に走り出せば、みんな走ります。
篠原
現役に復帰されたのはどのような理由があったのですか?
山本
コーチングだけでやっていくのも面白いのは面白いのですが、ハリがありません。また、言葉の説得力と熱量をはき違えてしまいがちですから、指導もけっこう難しいのです。指導力というのは指導がメインなので、走るべきではないと言う人もいますし、走らない人のほうが多いのも事実です。でも、走れるのに走らないコーチよりは、走れるコーチのほうがいいと思います。何でもそうだと思いますが、1つの特技よりも2つ、3つあったほうがいいですよね。
篠原
山本さんの場合、コーチとしても選手としても両方ともすごいですよね。合宿に大勢が集まるのも、それだけ信頼もあるからだと思います。いろいろなチームの人が、自分のチームもあるのにわざわざ来るほどです。人が集まることでさらに良い選手が集まり、練習の質も高くなって、それでまた増えていきます。

山本
今、トライアスロン界では、選手が教えながら競技を続けることが増えてきています。そうなると、実際に選手として競技している人間は、どこを目標にしているのかという話になります。自分はオリンピックを一つの目標としてずっと現役をやってきて、日本選手権に勝ち、アジア選手権に勝ち、世界選手権にも何回もいっていますし、ある程度の実績があります。世界選手権の優勝タイトルはありませんし、オリンピックにも出られませんでしたが、オリンピックの4年に1回の難しさは知っています。 もちろん食べていかなくてはなりません。競技1本では食べていけませんから、コーチングをします。

しかし、本来、世界のトップ選手は指導は行いません。日本くらいです。トライアスロンの競技人口が増えて、トライアスロンでご飯が食べられるような世の中になってきているのは事実ですが、競技力の低下はものすごく感じています。本来、成績を出さなければ食べていけないのがプロの世界です。それが、人がついてしまうと、良くも悪くも成績を出さなくても食べていけるわけです。

自分が頑張ったことが自分に返ってくる

山本
トライアスロンの裾野は広がっています。ただ、3年未満でやめる人がすごく多いと感じています。学校と同じで、入学して卒業までが早いんです。3~4年くらいで1つの波がきて、ピークパフォーマンスが出て、卒業して終わる方がけっこう多いと思います。高いレベルを求めようとしたとき、昨日の自分を超えるのか、去年の自分を超えるのか、その違いがかなり大きいのです。アイアンマンのレースが決まるのは1年前から半年前なので、そうなるとほとんどの時間を費やすわけです。家族のある人は家族を犠牲にするかもしれません。独身で始めて、結婚してやめる人もけっこう多いですね。また、子どもができ、子どもの受験などでやめる方もおられます。

篠原
主婦の立場から始めたものからすると、今までの世界とは全然違う世界なので、すべてが楽しいですし、周りにいる方たちもみんないきいきして頑張っています。私もトライアスロンを始める前までは仕事をしていたのに、数年後にこんなことをしているなんて想像もつきませんでした。今までは「○○ちゃんのママ」という立場だったのが、今度は自分、篠原知美が頑張らないといけないんです。全部自分の名前で出て、自分が頑張ったことが全部自分に返ってくる。そうするとすごく頑張れるんです。
山本
肩書きが関係なくなりますね。社員旅行がトライアスロン大会という会社もあります。社長に役職では勝てませんが、トライアスロンだったら勝てる(笑)。社内で頑張れば、会社が報奨金を出すようなこともあります。そうしたら頑張りますよね。仕事も頑張ります。
篠原
そこで、個人、自分というものが戻ってきたような気がします。ずっと忘れていたことなんです。子どもの母親ということなので、ファーストネームも覚えてもらえないこともあります。それが、どこにいっても「篠原さん」、「ともみん」と呼ばれ、頑張ったことが自分に全部返ってきます。頑張ることでリフレッシュして、家に帰ってから、身体は疲れていても、大変な育児をより楽しむことができます。
山本
学生時代にスポーツをやってきて、ある程度の競技レベルまでいった人よりも、いけなかった人たちのほうが頑張っていますと思います。学生時代にある競技でチャンピオンになった人もけっこういますが、その後はあまり目立たないことの方が多いのです。他の競技でトップに立った人間がトライアスロンに移って、トライアスロンでもチャンピオンになれるかといったらなかなかなれません。

アスリートにとってベストな食事とは

山本
ところで、アスリートフードマイスターから見て、ベストな食事は何でしょうか。
篠原
これがベスト!はその人によって違います。
山本
自分は25年やってきているので、これがいいという食事は変えないことがベストだと思っています。前日何を食べるか、当日の朝何を食べるかはほぼ決まっています。それは海外にいっても同じです。
篠原
それでいいのです。一応糖質をしっかり摂るなどはありますが、やっぱり自分が納得しなかったらだめです。その人にベストな食事というのが大事です。例えば、山本さんは食事が決まっていて、これを食べると調子がいいというものを食べています。でも、初めての人は何を食べたらいいのかがわからないので、そこはアドバイスします。
山本
初めての人は何を食べたらいいでしょうか。

篠原
糖質をはじめ、バランスよく、ビタミン、ミネラルをとるように勧めます。「5大栄養素」と言ってもわかりづらいので、私はいつも色で説明するようにしています。例えば、試合に行って、当日ホテルのビュッフェで食事をするとします。そこで何をとるかといったとき、緑のもの、赤いもの、黄色いもの、白いもの、黒いものをバランス良くとるということです。緑でしたら野菜など、赤や黄だったら野菜や果物など。白だったらご飯、パン、豆類など、黒はきのこ類、海藻類、豆類など。色を彩り良くするとだいたいバランス良くとることができますし、栄養のことがよくわからなくても簡単にバランスよく栄養素をとることができます。
山本
普段朝食をとらない人がレース当日に朝食をとっても、吸収しませんよね。元々胃腸が強いほうではありませんので、気をつけていました。20代の頃は、海外にも日本から全部持っていって向こうで作るなどしていましたが、年間10回、20回と戦っていく中で、それを毎回用意するだけでも大変で、だんだんストレスになっていきました。篠原さんの色の話もそうですが、基本、地産地消がベストな食事だと思います。
篠原
行った場所で選べる力が必要ですね。これじゃなきゃだめではなく、行った先でもきちんととれる。これがないなら代わりにこれを食べよう、現地のこれがいい、というように選べる力です。もちろん自分の身体に合うものを理解しているとよいのですが、それが絶対ではありません。状況、体調、環境によって臨機応変に、ですね。それがなかったら、ないと思っただけでメンタルがだめになってしまう方もいます。
山本
バイキングに行って「食物繊維はどれですか?」と聞く方もいます。「生ものはだめだと言われたのでやめておきます」と。ものすごく気を遣っているということはよくわかりますが、旅行で沼津港に行ってお寿司を食べないことはありません。お寿司屋さんに来て寿司を食べないことはあり得ないのと同じです。レースに行ったら、地元の食事を楽しむことも必要なのではないでしょうか。
篠原
好きなものだったり、それを食べて調子が良いなどですね。楽しく走れたとか、お腹が痛くならなかったとか、あれ食べたからいけないとか思わないものですね。
山本
失敗したときに、何がだめだったか振り返ります。本来、当日の朝食べたものはほぼ無関係です(笑)。栄養学的に言えば、当日の2〜3時間前に食べたものが競技中のエネルギーに変わるのはせいぜい10%です。その前の1週間の食事のほうが大事です。
篠原
沖縄に行ったとき、地元のチームのみなさんが、前夜なのにお肉ばかり食べたりお酒を飲んだりしていました。基本の食事学的に言うと、前の日はカーボローディングをするので肉中心でいいの?と思うのに、しかもほぼレアのステーキを食べたりしていても平気なのには驚きました。

山本
実際、年に1〜2回レースに出るような人は、特にデビュー戦だったりすると神経質になりやすいですね。非常にナーバスになってしまいます。それまでまったく食事に気を遣っていなくて、2日酔いで朝ご飯食べなかったりするような生活をしている人が、レース前日・当日でこれを食べたほうがいいからと一生懸命食べたところで大して変わりません。食べたという安心感はあるかもしれませんが。それであれば、せめてレース前の1週間だけでも飲み会4つを2つに減らすとか、1次会で帰れるようにするほうが、当日には有効だと思います。

食事に気を遣わない人は短命?

篠原
コナの大会で食事を担当したときは、選手が何を食べたいかが基本でした。お1人は「僕はこれとこれを何時に食べたい」「ご飯は玄米がいい」など、こだわりました。ひじきの煮物と切り干し大根などを作ったら、全部きれいに食べました。買いものも一緒に行って、何が食べたいか、お肉もこの部位という感じで選びました。
山本
変えたらパフォーマンスが上がるかもしれません(笑)。玄米は消化にはよくありませんから。
篠原
それは伝えて、レース当日は白米にしました。「玄米は消化悪いんですか?」と驚いていましたね。
山本
固定概念ですよね。栄養素的にはいいですし、普段の朝食ならいいのですが、玄米は消化が悪いですから、寝る前に食事に玄米は良くないでしょうね。
篠原
健康に良いからと自分で玄米を持ってきていて、それを炊いていましたけど、当日は白いご飯を食べました。もう1人はピザとコーラでいい方で、何なら朝食は食べなくてもいいという感じでした。元々1日2食くらいの小食で、野菜もほとんど食べません。同じプロのトップ選手なのですが、全然違いました。

ところが、コナのロングを終えた後に何を食べたいか聞くと、2人ともステーキと答えました。やっぱりロングで勝つには胃腸の強さなのだと思いました。私はレース後には胃腸に負担をかけない雑炊のようなものだと思っていたのですが、ゴールした日にステーキを焼いて食べて、その後冷凍ピザも食べていました。私たちのようなアマチュアだと、ロングの後には胃腸も疲労していてあまり食べられないものです。
山本
そんなことはありませんが(笑)。周りにあまりぐったりしている人はいませんね。
篠原
私の周りにはぐったりしている人が多いです。ロングだと、補給食も途中で取れなくなって吐いてしまう人もたくさんいます。ジェルも一切受け付けなくなってしまって、ハンガーノックになってしまったり。だから、帰ってきてお肉が食べられるというのはすごいと思いました。しっかり食べられる人は強いですね。

山本
去年より今年の成績が良かったのは食事が大きかったということに、本人たちは気づかないといけないと思います。その良かった結果に対して、この1年をどうするか考えなければなりません。こういう食事をとらなければいけない、こうしたほうがもっとパフォーマンスが上がるということに本人が気づかないと、食事は絶対に変わりません。結果、勝てなくなっていきます。食事に気を遣わない人は短命だと思います。天才肌と一緒なので、できてしまうので、何を食べても関係ないとなってしまいます。それがだんだん年齢と共に、無理が利かなくなり、思うようにいかなくなります。怪我をすると回復が遅くなります。それが食事に気を遣わない人の典型です。

逆に、長く続けている人ほど食事に気を遣いますし、身体の変化にものすごく敏感です。今日は胃が疲れているからどうしよう。カロリーが必要だけど量が食べられないから唐揚げにしよう。そういったところまで考えられれば、摂取カロリーと栄養素をバランス良くとることができます。長寿の人はだいたいそうですね。トップにいけばいくほどそうなります。
篠原
選手時代に栄養の勉強もしますよね。競技と一緒に、栄養はどういうものをとったらいいのかも含めてがトレーニングになっています。自分で意識してやらないとだめですね。あとは、栄養のアドバイスをする側も、実際にその競技を知っている人とテキストだけで学んだ人では違います。そのアドバイスでは説得力がないですし、実際にうまくいかないことがあります。「これをとってください」と言われても、現地にそれがない、から始まって、じゃあなかったらどうする?という話になります。自分に合うものをみつけること、そして臨機応変に対応できることが大事ですね。 最後に今後の目標をお願いします。
山本
9月の世界選手権でエイジ優勝することです。そのためにこの2年間やってきました。去年勝ちにいったのに勝てなかったので、まさか今年もう1年あるとは思いませんでした。今年はスイスなのでそこまでの体制は組めないのですが、一応サポーターもついていきます。作る人はいないのですが、スイスなので美味しいものを食べてきます。今年は勝ちに行きたいと思います。
篠原
ぜひ勝っていただきたいと思います。今日はありがとうございました